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日誌

村上春樹を読む、そのいち

知誠館の高校生の国語の時間。桜井先生のゼミでは、ただいま村上春樹を読んでいます。


作品はこちら。
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彼のデビュー作、「風の歌を聴け」です。
もちろん「風の歌を聴け」のすべてを読んでいるわけではなく、「僕」が「小さいころ」、「ひどく無口な少年だった」ことを語る一部をじっくり読み込んでいるのですが。この作品、読み始めてもうかれこれ一ヶ月ほど経っているのですが、「?」が多すぎて、やっと1ページ読み終えたところ。どんな「?」に知誠館高校生のみんなが頭をひねらせているのか、少しのぞいてみたいと思います。
本日のぞいてみたい「?」は、こちら。
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無口な「僕」を心配した両親が、「僕」を知り合いの精神科医の家に連れていった場面。「僕」が精神科医と向かい合っていた正面の壁からは、「モーツァルトの肖像画が臆病な猫みたいにうらめし気に僕をにらんでいた」。この一文です。
「なぜモーツァルトの肖像画なのか?」「なぜモーツァルトの肖像画が『臆病な猫』みたいに『うらめし気』に僕をにらんでいる、と僕は感じ取ったのか?」「ここから読み取れる『僕』のイメージは?」
本文を読み、こんな「?」をひとつひとつ検証していきました。「この肖像画がモーツァルトである意味が必ずあるはず」「臆病でうらめし気と感じ取っているということは、『僕』の中にもそれに共通する思いがあるからでは」「この肖像画をモーツァルトだと認識できるということは『僕』の知的水準は高いはず」などなど。
私自身、講師としてだけでなくひとりの学習者としても参加しているのですが、みんなから飛び出てくる(しかし本文にちゃんと根拠を探している)「?」への答えに、「私も同じこと思ってた!」と思うことから、「そんなん全然思いもよらんかった…」「え、それってどうなん…?いや待てよ、その読みありかも」「ほほう…」とうなることまで。
この「村上春樹を読む」、まだまだ続いていきそうなので今後もレポートしたいと思います。…しかし村上春樹好きで読んでたのに、こんなふうにひとつひとつの言葉に注目して読んだことなかったなー。それって「読む」って言うんかな。「読む」って何や…と、また無限の「?」ループに陥っている田中がお送りしました。