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日誌

続々 やっぱり作ることが好き

こんにちは、亀谷です。

あっという間に1月も末に。。。

皆さんいかがお過ごしでしょうか。

 

先日のブログで、作家の日の「振り返りアンケート」について書きました。

関わってくれていた小学生のAさんが、一度は「もうええやん」と言っていましたが、

最終的にアンケートを作成してくれて、回収、集計をすることができました。

今回のブログは、その後の動きについてお伝えしようかと思います。

アンケート回収し、集計をした結果、

多くが「息抜きやリフレッシュ」と回答。

「普段の息抜きにもなるし、学習への気力も湧くと思う」というような意見が聞かれました。

その他、「探究ではできないことを作家の日でやるため」「探究の時間が足りないから」、

「学校の図工のようなもの」、

「自分が作りたいものを作るため」、

「取り組む中で、ルール決め、企画、相談、準備などが経験できる」、

「グループでやる場合は、みんなで協力してものが作れて、自然と協調性を育めるし、

みんなで計画して実行するグループワークは、これからも必要になる能力だと思うので、大切な時間だと思う」、

「自分なりに目標を立てて、没頭すると同時に、計画を立てる力をつけること」、

「わからない」、

といった意見もありました。

それぞれに考えてくれたのがわかりました。

 

そして、スタッフの中でも話し合いました。

<作家の日>と<探究>はそもそもどういう時間なんだろう。。

息抜きやリフレッシュとして取り組むということであれば何も問題ないなぁ。。

<探究>について今回改めて何をする時間なのかを考え、

みんなに伝えました。

 

<探究>の時間について

自分が知りたいこと、伝えたいこと、表現したいことは何かを考える。

どうしたら知りたいことが知れるか、伝えたいことが伝えられるか、

表現したいことが表現できるかを考える。

知ったこと、伝えたいこと、表現したいことをカタチにする。

それを通して、自分自身について考える。

また新しく知りたいこと、伝えたいこと、表現したいことと出会う。

例)ゲジゲジのことが知りたくて昆虫館に行った高校生

 京都が嫌いすぎて福岡との違いをプレゼンした小学生

 

そして、続いてみんなと以下について話し合いました。

①学びの森が考える<探究>と、みんなが考える<探究>にズレがある気がする、、どう?

②<探究>を選択制にするのはどう?

 

主に中高生の話し合いを箇条書きに↓

・最終的に発表をする(伝える、表現する)ことが条件ということだけど、

 どうやって発表したらいいのかわからない。

・以前は、探究報告会を開いていたけど、今年度はやっていなかったし、

 発表がなくなってから、探究の目的がズレ始めたと思う。(好きなことやっていいと思っていた)

・以前報告会があったときは、発表のためだけに何かを準備していた。

 本当に自分の興味や好きなことは別に置いて。それは本当に<探究>と言えるのか?

・発表でみんなに知ってもらえる、みんなと共有できるのは楽しいから、それがモチベーションになることもある。

・探究したことを共有しないのはもったいない。

・他の人に見てもらう前提で取り組むことになると、他者からの評価への不安がある。

 自分の発表を理解してもらえるかどうか。。

・意味があるかどうかは自分で決めるものだけど、自分は人に見てもらって評価をもらうことで、

 改善点などを知ることができるし、作品を高めていけると思っている。

・リフレッシュや息抜き、というのが「悪いこと」ではなく「ポジティブ」な意味を感じている。

・本当に探究したいことは「自分」が出るので、「自分」をさらけ出すのは恥ずかしい。

・自分の「興味や好き」を追求することは楽しいし、達成感ややりがいを感じるから、意味がある時間だと思う。

・「興味関心、自分の好きなこと」と「表現方法や技法を身につけること」、これらがどっちつかずの状態になっていた。

 これらを両立させることが<探究>ではないか。
・自分なりのテーマを決める時間も必要。

・自分は、テーマが決められている方が取り組みやすい。

・一度テーマを決めたらやり切るほうがいいと思う。

・途中で考えが変わったらどうするのか。

 

などと、とても落ち着いて積極的に意見を出し合うことができたので、私としてもすごく嬉しく思いました、と同時に、

こういった意見も理解しながら、学びの森の<探究>は何をすることなのか。。

 

こういったことを受けて、木下先生が改めて<探究>について考え、

下記の通りみんなに伝えてくれました。

 

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みんなの意見を聞いて、改めて「探究」には「自分自身に目を向けること」と「他者に自分(の経験)を開くこと」(傍線部)が大切だと思いました。

 なぜなら、「探究」とは自分自身の中にある矛盾や葛藤、モヤモヤに向き合い、問いを立て、なんとか折り合いをつけよう、そこに意味を見出そうともがき、紡いだ答えを他者に示し、他者からの批判を受けながら、自分なりの答えをつくり続ける不断の運動であると思うからです。

 また、この運動は年齢に関係なく生きていく上でずっと繰り返されるものだと僕は考えています。僕自身も現在進行形でこの運動を続けているし、もがき続けています。きっと他のスタッフや、みんなの親もそうだろうと思います。

 一方でこの不断の運動は煩わしく、痛みを伴うことでもあると思います。今まで自覚していなかった自分の嫌なところや、蓋をしてしまいたい過去の経験に直面せざるを得なかったり、なんとか出した答えが他者に理解してもらえなかったりするかもしれません。

 こんな風に言うと、ただただしんどいことのように思うかもしれませんが、決してそんなことはありません。もがきながら答えを出すことでしか見えない世界や、そうすることでしか得られない経験、他者との関係が間違いなくあります。また答えを出すプロセスでも、何かと何かがつながる瞬間や、新しい人・もの・こととの出会いがあり、その度に自分の中でこれまで経験してきたことの意味が更新されていくのはとても楽しいものです。この積み重ねが、今だけでなくこれからの人生において、「自分らしく」とか「自由に」生きることにもつながると思います。

 僕はこうした経験を学びの森で積み重ねたいと思っているし、学びの森がそういう経験を積み重ねることができる場所にしたいと思っています。だからこそ、学びの森の「探究」では「自分自身に目を向けること」と「他者に自分(の経験)を開くこと」(傍線部)に取り組んでほしいし、それに取り組むことと定義します。

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そして、それぞれに<探究>の時間が少しづつ稼働し始めています。

選択制なので、取り組まない選択をした人もいますが、

今後どのように展開していくのか楽しみです。

作家の日が、今後どうなるかも考えていこうと思っているところですが、

作家の日を実施し、アンケートを取ったりしたことが、

今のこの<探究>につながっているのを実感しますし、

やっぱり何かやってみる、動いてみる、人に伝えてみる、ということが

大切だなと思いました。

 

やっぱり作ることが好き、

作ることから始まる自分自身におこる展開、

自分から外に出して起こす展開、

決して楽しいことが「楽(らく)」なことではないけれど、

これが面白くて作ることが好きなのかもしれないなと感じているところです。

 

皆さんの探究も、またお話お聞かせください~(^^)/

 

↓雪だるまのほうが大きい!!!(1月10日の雪の日に)