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日誌

枠組みを一度外して

知誠館では、毎週2回スタッフの間でミーティングがおこなわれます。
それぞれが生徒との関わりの中で気になったことや、学習進度の調整など、様々なことが話し合われます。


ブログではいつも生徒とスタッフの関わりを紹介しているので、今回はスタッフとスタッフの関わりを紹介したいと思います。
話題は最近ここに通うようになったAちゃんのことでした。
Aちゃんについて考えていることを、スタッフがそれぞれ話していきます。
─ここに来るのが楽しいって言ってましたよ
─今までは学年相当のことをイヤイヤやらされてたのかもね
─学力的な困難さも持ってるみたいやし
─Aちゃんが来たいと思う環境で、学力をどれくらい積み上げられるかがポイントかな?
─同世代の子との距離感も
─最初来たときより、集中して勉強するようになってるなぁ
などなど、「あの時のあんな関わりから考えた」ということが次々に出てきます。
これに対して塾長が言った言葉が私の中では印象的でした
「知誠館では、関わる人がその枠組みを一度外して見てあげることが大事なんちゃうかと思う。それがたとえ同じ枠組みに当てはまったとしても、一度外すっていうのが必要や。」
確かに、自分が他者を見て、何か評価するときには、見る側の「枠組み」があります。
それは、学校の成績もそうだし、今流行りの発達検査でもそうだと思います。
しかし、その「枠組み」は本来絶対的なものではないはずです。
今まで生きてきた経験の中で作られた、いわばオリジナルでなものです。
もちろん、見えているものが正しいとか、間違っているとかではありません。
ただ、そこに囚われるのではなく、自分の見えているものはその枠組みから見た1つの側面でしかないということに意識的になることは大切なんだと思います。
特に、不登校やひきこもりの状態にあった子どもたちは、一度「社会」や「学校」という枠組みでは否定された経験があります。
そこで、同じような枠組みに当てはめてその子を見れば、また否定することにつながりかねないのではないでしょうか。
だから、その子たちに関わる私達自身が、常に
「別の側面はないか?自分が見えていないだけじゃないか?」
と、自分を省み続けなくてはならないんだと思います。
まぁ、その一方で「社会」はそう簡単に枠組みを外して見てはくれないという現実もあるのですが…。
だからこそ、その枠組みを越える枠組みを、生徒たちも私達も作っていかなければならないのかもしれませんね。
自分を省みることを「省察」と呼んだりしますが、
そういった「省察」の姿勢が、スタッフのミーティングの時に常に表れている気がします。
ミーティングをすることで、誰かの意見、気になっているポイントの違いから、自分を振り返る機会になっています。
また、スタッフミーティングの時だけでなく、毎週金曜に開かれている「思考のワークショップ」た小学生の「読書表現」、生徒たちとの対話の中にも表れている。
それが知誠館の特徴なのかもしれません。
昔、私が修士論文をここで書かせてもらっているときに、塾長が言ったことがあります。
それは
「ここは全体を語ることは難しいねん。でも、日常のどこを切り取っても、ここの本質が現れてくる。そうや!あのあれ!金太郎飴みたいに!!」
金太郎飴…懐かしいですね(笑)
そうやって何層にも、しかも複雑に重なっているから、働いていて面白いと感じるのかもしれません。
こんな感じのブログもちょいちょいまたあげていきたいと思います!
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