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日誌

ラウンドテーブルの感想

6/27におこなわれた「ラウンドテーブル」の感想が続々と寄せられてきました。
今回のブログではそれらをご紹介したいと思います。
みなさんとても長い文章にして感想を寄せてくださったので、編集して一部しかご紹介できませんが、そこはご了承願いたいと思います。


では、まずは元盲導犬のトレーナーの方の感想です。
 「支援」とは何か?については、いかにゆるいサポートネットワークを作り出すかがキーワードのように思います。支援団体の限界を補うのは、「たまに手伝ってくれる」、「少しはきにかけてくれる」という市井の人だろうと思います。<中略>そんな「見えない力」をいかに紡いでいくかがポイントになるのではないでしょうか。
 また、「せっかく不登校になったんだから」という言葉に、どれだけの人が救われただろうと思わずにはいられません。それと同時に、この言葉をかけてくれる大人に出会えず、悶々と日々を送っている人がどれだけいるんだろうと考えました。

次は、自動車整備会社を経営なさっている方の感想です。
 今後の教育の多様性を見た感じです。アウラを卒業した生徒さんは、しっかりと自分の意見やビジョンを考える人に成長していっていると思います。特に、思考部分での教育がしっかりとしていると思いました。
 <中略>教育のやり方が変わるかもしれないこれからの時代は、社会全体で教育を支えていくことが必要だと感じました。また、そういった教育を与えるのが、親であり大人であり社会の責任だと感じました。

続いて、引きこもりの息子を持つお父さんの感想です。
 最近、息子と会話する夢を見ました。よくこういう夢を見ます。会話が出来たらうれしいと思う反面、会話が出来なくてもしっかりと考えて自分の道を進んでくれさえすればいいとも思います。息子にとって何が1番良いのか、わからないと感じることも多いです。
 <中略>参加して、子どもも不安の中で、「今のままではダメだ」、「変わらなければ」という気持ちで戦っているんだなということと、無視しながらも私の背中を見ているのか、その背中を見て何を感じているんだろうということを考えさせられました。でも、正直今ここまでです。具体的にどうすればいいかはこれからです。

最後に、紙芝居屋さんの感想です。
 「何の為に生まれて、何をして喜ぶ?わからないまま終わる、そんなのは嫌だ!」という、アンパンマンの歌はROCKだ。<中略>人それぞれに、その人なりの、それなりの物語があるが、マンガの主人公も、映画の主人公も、どこかで決断し、覚悟を決めるからおもしろいのだ。安く定めた安定目指しても、計算通りに生きられない。また、生きられてしまう人生とはどれだけつまらないんだろう。
 この日会った青年たちは、一人心の音を聴き、そこから抜け出した物語がある。にぎやかすぎて、うるさすぎて、聞こえない心の音。<中略>ひとつの「個」をしっかり持った人は強いと感じる。大きく、強く見えた彼らに負けぬよう、自分の物語を活きたいと願います。

このようにたくさんの感想を寄せてくださるのは、今までとは違う職種の方々にも、「ラウンドテーブル」が面白いと感じていただけたからdと思います。
では、その「面白さ」はどこからくるのでしょうか?
私はおそらく、「不登校」と呼ばれる彼らの物語には、我々が生きる上で普遍的なものや根源的なものを問いかける力があるからだと思います。
そして、現在「マイノリティ」に位置づけられる人たちの物語も同様の力があると思います。
そう考えると、「不登校」「障害者」「貧困」…その他多くの問題とされている事柄について、そのことだけに焦点を当てて支援するだけでよいのでしょうか?
「マジョリティ」であることに何の疑問も持たずに、「マイノリティ」を問題視していてよいのでしょうか?
私もまだ具体的に、「だからどうすればよいか?」はわかりません。
しかし、今後も省察を続けながら、自分の物語を紡いでいきたいと思いました。
感想を寄せてくださった方々に心から感謝いたします。
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