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日誌

学校じゃないからできる「読み」

今週はいろんな企画があって、更新が遅れてしまいましたが…
例のごとく小学生の「読書表現」でも、面白いことが起こっていますよー!
いよいよ、宮沢賢治の『注文の多い料理店』もクライマックスに突入しました。


さて、ここでみなさんにひとつ質問します。
この『注文の多い料理店』ってどんな話でしたか?
細かいとこまで思いだせるかい!
と思う人もいると思うので聞き方を少し変えましょう。
この作品のどこが面白いと思いましたか?
読んだことのある人は、思い出してみてください。
読んだことのない人は、すぐに図書館で借りて読んでみてください。
ではここで、みなさんが頭に浮かべたことを私が見事言い当ててみせましょう…。
ズバリ
注文されて、食べられるのは実は人間のほうだった!!キャー
という題名とのダブルミーニングが面白かったと思ったんじゃないですか??
そう、これがメンタリズムです。
ウソです。違います。
ふつうに読んでいると、確かにそこが面白いんです。
あとは、若い紳士の2人のおびえるところとかでしょうか?
そして、その「読み」は学校で教えられるものでもあります。
しかし、この授業ではもっともっと深い「読み」をみんなで作っていくことを目指しています。

ある生徒が、こんなことに気づきました。
「なんで山猫は、最後の最後で「塩をかけてください」なんて書いたんやろう?こんなんしたら絶対バレてしまうやん!」
確かに、人間を食べてしまいたいだけならもっとうまくだませたはずです。
「塩」なんて正直に言わずに、別の言葉で表現したらよかったのです(事実、「酢」をかけるときは「香水」と山猫は表現しています)。
では、なんで「塩」と表現したのでしょうか?
ここで、また別の生徒が言いました。
「わざと「塩」って言って気づかせたかったんちゃう?人間が怖がってるのを見たかったっていうか、それを見ておもしろがってるんちゃう?」
このように考えると、『注文の多い料理店』は、単なるダブルミーニングの面白さだけではないように思えてきませんか?
動物を狩ることを楽しもうとしていた2人の若い紳士と
人間を狩ることを楽しむ山猫
両者を対比していくと、「人間界」と「動物界」という切っても切り離せない?、はたまた決して交わらない?ふたつの世界が見えてきます。
学校のように、限られた時間の中で、みんなと同じペースで読んでいては、こうしたことには気が付かないのではないでしょうか?
この授業の位置づけは、小学生の「読書表現」という塾の授業のひとつですが、
知誠館の生徒が参加することで、その枠組みはもはや無いも同然です。
学校じゃないから/学校に通っていないらこそできる「読み」
興味があれば一度見に来てくださいませ。
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