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日誌

死を考えるシンポジウムの準備会

昨日、死について考えるシンポジウム(仮)の準備会に参加してきました。
あたりまえのことですが死というものは、生の裏側です。
だから、死を見つめることは、生を見つめる目ることに他ならないのです。


もちろんそれは、私たちが生の世界に生きているからこその視点であって、死の世界に生きることがあるとしたならば、生の世界が裏側になるのかもしれません。
男であろうが、女であろうが、大人であろうが、子どもであろうが、どんな社会的、文化的なな環境の中に生きていようが、生と死、それは誰もが共有する大事な経験であることには違いないのです。
ところが近代社会は、死というものをどこか忌み嫌い、それはいつの間にか私たちの生活世界から遠ざけられてきたように思います。
死を公然と語ることは避けられ、死を描写したり、死を表現することに大きなバイアスがかけられていき、いつしかそれは身近な存在ではなくなっていったのかもしれません。
葬儀一つとってもそうです。それは大きな商品として、他人の手によって作り上げられていく存在になって、私たちの社会に定着してしまいました。
死が遠ざけられると、生が見えなくなる。
私たちは確実に生きてるんだけど、生きている実感が感じられない日々が続いていく・・・
だから死と向き合い、死を考えることはとても大事なことだと思うわけです。