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日誌

枠をいかに超えるか?

先週の金曜日に、来月出会い場で話をしていただく前衆議院議員の北神圭朗さんの事務所へ、打ち合わせに行ってきました。
今回の訪問は2回目なのですが、前回同様なかなか面白い文化トークに花が咲くことになりました。


そもそも話の発端は、「出会い場」とは何か?ということでした。
「出会い場」は、こだわりの仕事をされている大人の人をお呼びし、そのこだわりの世界をみんなに披露してもらうことを主眼としています。
こだわりの仕事には、その人のライフストリーがたいてい表現されていて、仕事を通して人生を見つめていく経験を若者たちに持ってもらいたいと考えています。
そんな話をしながら、「ぜひ北神さんの政治へのこだわりを、お話しいただきたい」とお願いしたのです。
そんなところから、話は横道へと逸れていきます。
そもそも「こだわり」とは、一つの枠ではないか?
つまり、ある枠にこだわって仕事をし、生きていくということではないかという問いです。
北神さんは、剣道をやってられたそうですが、武道には必ず型という枠が存在するわけで、その型にこだわり続けることで、その型を超えることができるというのです。
そこから日本は、その型をずいぶん失ってきたという話になります。
どんどん変化を続ける日本の街と比較して、何十年も変化をしないパリの街が対比されていきます。
あの格式だったルーブルが、どうして印象派の作品を決して受け入れようとはしないのか?
そこには、いまだ継続されている芸術に対する議論があるのです。
とことん枠にこだわり続けることで、その枠を超えていく。
そんなイメージが私の中で、壁にぶつかりながら生きていく若者たちの姿と重なっていくのです。