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日誌

学びの森の東九条マダンレポート その1 準備編

 

学びの森には、「プロジェクト」という時間があります。

 

 

生徒自身が何かプロジェクトを企画し実行する、❝プロジェクト型学習❞に取り組む時間をそう名付けているのですが、この1~2ヶ月はずっと、東九条マダンというおまつりへのたこせんの屋台出店に向けて、準備に取り組んできました。(※おまつりの詳細な説明は画面最下部までスクロールください)

 

 

学びの森は昨年も出店させていただいたので、今年で2度目の出店となりました。(昨年の様子は「いこかつくろか東九条マダン」へ)

 

 

 

 

マダンについての話し合いが始まったのは、9月のはじめ頃。

 

 

①マダンの趣旨に賛同したうえで参加するか、②参加する場合何の店を出すか、というところから話が始まりました。

 

 

マダンに参加すること、経費を除いた売上は全てマダンの実行委員会にカンパすること、まではすんなりと決まったものの、②の「何の店を出すか」というところが問題でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実は去年も、そして今年の春の東九条春まつりでもたこせんを出店した学びの森の生徒たち。(その様子は「ごちゃまぜが『当たり前』」へ)

 

 

そのいきさつにもいろんなことがあったため、今年は何を出店するのかを決めるまでには時間がかかりました。しかし最終的には、簡単な調理で済むこと、それでも美味しく作れること、昨年の成功経験から利益が見込めたこと、などの点から今回もたこせんに決定。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

試作もおこない、美味しさを実感したり具材の存在感をちゃんと味わったりすることで、それまでなかなか決定に踏み切れなかった項目(何種類のたこせんを出す?何味にする?どの具材を乗せる?…etc)も案外すんなり決まりました。「想像をもとに話すのではなく、一回やってみる」「実際にそのものを味わう、感じる」ことが持つインパクトと意味の大きさをここで実感。

 

 

ただし、これまでとは少し違うエッセンスを入れたい、という何人かの生徒の希望から、紆余曲折の結果、「たこせんに絵を描く」というアイディアを採用することになりました。

 

 

今回のプロジェクトメンバーは、これまで何度もたこせん屋台の出店に取り組んできたため若干食傷気味な人もいれば、たこせん屋台出店に初めて関わる人もいる集団でした。ですが経験者を中心とした「これまでのたこせんと違うものにしたい」という思いを形にするために、初体験の生徒も含めた皆がそれぞれに考えている姿から、皆がこのプロジェクトに対して他人事ではなく参加意識を持っていること、それゆえ生徒たちが考え話し合おうとしていることを感じました。買い出し担当を各生徒でどう分担するかを話し合った際にも、「面倒だとしてもみんなで何かを成し遂げるためにやらなければならないことを引き受ける」態度を持っていることを実感したり…。プロジェクトを企画実行する中で、生徒のいろんな面が見えてきます。

 

 

 

 

そんなこんなで時間をかけて話し合ってきた時期を経て、いよいよマダン当日が近づいてきた日にはたこせんに絵を描くための「型」づくりとポスターづくりに取り組みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここまでくると、もう我々講師は生徒たちがすることをお手伝いするだけで、すべて生徒が具体的に動いていきました。

 

 

 

 

生徒同士で実に楽しそうに物を作り上げていく様子を見ていると、今まであまり気づかなかったことに気づくことが多いです。

 

 

「あ、この子はあの子のこと下の名前で呼び捨てで呼んでるんや!」「この子らって案外しゃべるんや」「一見何もしてへんようにみえるけど、ちゃんと共同作業してるな~」「こういうとこ思いやりあるよな~」「友だち同士やったらこんなしゃべり方するんや!」などなど。

 

 

それを見る中で、彼らの力、そして彼らが築いている関係性があってこそ、このプロジェクトが動いているのだと実感しました。

 

 

毎日学びの森という場にいる大人として、どうしても私というフィルターを通して、私の目線を主観にこの場や生徒たちの関係を捉えてしまいますが、生徒にとっては生徒の目線が主観。生徒同士が築き上げている関係性と、それがあるからこそ醸成されるこの場の空気感が「学びの森」を作り上げているのだ、このプロジェクトもその上に存在しているのだ、と改めて感じたのです。

 

 

振り返ってみれば学生時代、学校という学びの場での日々の生活の楽しさや嬉しさ、はたまた苦さや悲しさは、ほとんど友だちが占めていたなーと思います。先生との関係性なんて、脇役に過ぎませんでした。(「学ぶ」という行為の存在を共通項に持っているものの、学びの森と学校では目的やコンセプトが違いますし、一概に同じように語ることはできませんが)

 

 

そんなことを思い返しながら、我々大人にできることなんて高が知れていて、彼らが彼ら自身の力で作り上げている関係性、空気感がこの場を、そしてこの場での学びを支えてくれているんだろう、というかそれこそが主役なんだろうな、と思いました。

 

 

 

 

さて、こうして迎えた東九条マダン当日……の話は、また次回、お送りしたいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

※❝東九条マダン❞について、公式サイトでの説明を転載いたします。

 

“マダン”とは“広場”の意味です。「東九条で、韓国・朝鮮人と日本人がひとつのマダンに集い一つになって、みんなのまつりを実現したい」--このような思いをこめて名付けられました。(略)東九条は、京都で最も多くの在日韓国・朝鮮人が住む地域です。道端では韓国・朝鮮語のお喋り、店先では韓国・朝鮮のおかずの品々にふれることができ、生活に根づいた韓国・朝鮮文化を掘り起こせる町です。だから、ここで行われる「東九条マダン」は、民族交流の場になるとともに、韓国・朝鮮人にとって、自分を見据え表現するかけがえのない場になるだろうと思います。もちろん、「東九条マダン」は日本人にとってのまつりでもあります。少数者を無視し、差別し、排除する傾向のいまだに根強い日本社会にあって、東九条は、日本人と韓国・朝鮮人が生活する中でお互いの交流をはぐくんできた町です。「東九条マダン」は日本人にとって、共にチャンゴをたたきキムチを食べながら、韓国・朝鮮の文化、歴史、生活に出会い、理解し、あらためて自分(日本人ということ)を見つめなおす場になることでしょう。あるいは韓国・朝鮮の民衆文化創造に参加する中で、では自分たち日本人の創る文化とは何か、そんなことを考えさせられる場になることでしょう。(略)