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日誌

村上春樹を読む、そのに

先日こちらの記事でお伝えした、高校生の桜井ゼミの時間。今は、村上春樹の「風の歌を聴け」を読んでいます。


前回に引き続き、今週もまた新たな「?」を確認していく過程をのぞいてみたいと思います。ひどく無口なことを心配し、両親に知り合いの精神科医の家に連れてこられた「僕」。そこで精神科医が「僕」に、「昔ね、あるところにとても人の良い山羊がいたんだ。」という言葉から、こんな話を語り始めます。
その山羊は、重いうえに壊れて動かない金時計をいつも首から下げていました。なぜそんなものをぶらさげてるの?と友だちの兎が尋ねると、山羊は、時計が重いのにも動かないのにも慣れちゃったんだ、と答えます。それを聞いた兎は、山羊の誕生日に新しい時計をプレゼントするのです。その時計は、キラキラ輝き、とても軽く、しかも正確に動くものでした。山羊はとても喜んでそれを首にかけ、みんなに見せて回りました。…そこでお話は終わり、医者がこう告げます。
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「君が山羊、僕が兎、時計は君の心さ。」
この一言です。ちなみに「僕」はこの一言に、「騙されたような気分のまま、仕方なくうなずいた」のですが…これって、どういうこと?これ、どう思う?そんな「?」を考えます。そのために、まずこのエピソードに登場する「山羊」「兎」「時計」のイメージをひとつずつ確認していきました。
「山羊は崖とかもぴょんぴょん登って歩いていく、身軽なイメージ」「のろまで、臆病な感じ」「動物園行ったとき、人を怖がって身動きとってなかったから、怖がりなイメージ」
「兎は昔話の『うさぎとかめ』に出てくるみたいに、ずる賢くてひきょうなイメージがある」「あと不思議の国のアリスみたいに、急いでたりせっかちな感じ?」「このイメージって、けっこう今までに自分が読んできた物語とかに影響されてるんだよね」
「時計は、機械じかけ」「長針と短針が、常に正確にカチコチ動いてる感じ」「時計は時間を表すもの、人の行動の基準になってる」「じゃあそんな『時計』を『僕』の『心』にたとえるってどんな感じする?」「心は機械じゃないし…」「しかも新しい『心』をプレゼントするとか、違和感ある」
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この時点で、みんながそれぞれの動物やものに持ってるイメージの違い、共通点が見えてきます。その工程をふむと、ここでの「山羊」「兎」「時計」は、すべてそれでないと描けない、それである必要があるものばかりだということになんとなく気づいてきます。
そんな確認を経たあと、桜井先生から問いかけがありました。「こんな精神科医、どう思う?」
「精神科医ってこんなもんちゃう?と思う」「人の心を時計にたとえてとりかえるっていうのが、なんかちょっとこわい」「信用しにくい…」「でも精神科医の家で、お菓子とか出してもらいながらそんなこと言われたらなんかよく分らんけど『ふーん』って思っちゃいそう」などなど。
この作業を経ると、私が最初にここを読んだときに感じていたもやっとした違和感のようなものが、みんなの頭と心を通して次々に言葉になっていく感覚があります。桜井先生から投じられた「?」を丹念に読み解くことは、こうして「?」が言葉になっていくだけでなく、それによりまた新たな「?」が自分たちの中から生まれてきます。
読めば読むほど、湧き出る「?」。今日も次に考えないといけない「?」がいくつか出てきて、読み終えるまでにまだまだ時間がかかりそうです。