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日誌

母性と向き合う

「ここにきてようやくわかってきました。
やはり、子どもを離して見ないといけないということなんですね」
そうしみじみと話されたのは
今年知誠館を卒業し、家を出て大学生活に挑む
辰夫のお母さんでした。


辰夫はこの春、家を出て大学生活を始めます。
ようやく巣立ちを時を迎えるにおいて
お母さんからそんな言葉が出たんです。
中学時代に友達関係でつまづき
学校に行けなくなった辰夫を
いつも「何とかしなくっちゃ」と一生懸命になってこられたのがお母さんでした。
辰夫の問題をまるで自分事のようにとらえて
あらゆる可能性を検討し
この知誠館にもたどり着かれたのです。
心理学の概念に
「課題の分離」というものがあります。
不登校というのは、確実に子どもの問題なのです。
ところが、「何もできない子ども」を前に
「私が何とかしないと・・・」と先回りする親がいるわけです。
子どものことを自分事としてとらえる。
特に不安が大きくなればなるほど
その傾向が強くなる。
これは親の持つ母性的行動かも知れません。
母性は、課題を統合し
子どもと親の境界をなくしてしまうのです。
「動き回る親」と
まるで他人事のように
「何もしようとしない」子ども
この構造が、どんどん加速していくわけです。
辰夫のお母さんは、
どこかの段階で
「あの子は何とかしていくかも・・・」
あるいは
「あの子が何としていくしかない・・・」
と考えられるようになっていかれたのです。
すると、少し距離が持てるようになります。
そして子どもの意外な側面も見えてくるようになるのです。
子どもの課題を飲み込んでしまっている親の背景には、
いつも不安があります。
そして不安は、子どものマイナスイメージによって支えられています。
「何もできない子」が親の前に存在し
「何とかしようとする」親が子どもの前にいるのです。
「課題の分離」ができない親の背景にはもう一つ
「理想の子ども」の存在があります。
親が「理想の子ども」を持ってしまうと
現実の子どもは、勇気をくじかれることになります。
その理由は
現実はいつまでたっても理想に勝てないからです。
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