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日誌

みんなちがって、みんないい

「みんなちがって、みんないい」
みなさんは、このコトバをご存知でしょうか?
これは、金子みすずの詩
「わたしと小鳥とすずと」の中に出てくる一節です。


わたしが両手をひろげても、
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地面(じべた)をはやくは走れない。
わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんのうたは知らないよ。
すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。
私はこの詩を
山口県の仙崎という港町にある
金子みすず記念館で初めて目にしたんですが
知誠館の教室で耳にしたのです。
「みんなちがって、みんないい」
そう話始めたのは、中2のD子でした。
それは知誠館の昼休みに
インターンシップに来ていた石庭さんの卒論の章立てを
みんなで見ていた時にD子が突然言い出したんです。
「私、気がついたんです。
 不登校は学校へ行かないという選択であって
 それは、みかんを選ぶか、りんごを選ぶかという
違いにすぎないと思うんです。
ただ、学校へ行かない人生を選んだ、
ということに過ぎないのに
不登校というだけで
何か大きな問題で
まるで病気のように扱われてしまう。
そこのところを問題提起してみたいんです」
石庭さんは、うれしそうに話していました。
その時、D子が言い出したんです。
「みんなちがって、みんないい」やな?
D子は自分が学校へ行かなくなった当時をこう振り返ります。
「みんな(家族)、表面的には
“学校行かなくっていいよ”って
言ってくれてるんやけど、本心では
“学校行かないなんて考えられない!”って思ってる。
それがわかるから、とてもしんどかった。
何で学校へいかないといけないか?
 学校へ行かないことが、そんな問題なの?って
 いつも考えてたから・・・」
そして、実は石庭さんも同じような経験を持っていました。
高校時代に1年以上、別室登校をしていたんです。
彼女は、その時の後ろめたい気持ちを振り返りながら
卒論を書こうとしていたのです。
この時、石庭さんの気持ちとD子の気持ちがここで重なるわけです。
そこで、出たコトバが
「みんなちがって、みんないい」
これだったんです。
知誠館では、こんな場面がよくあります。
まるで金太郎あめのように、
知誠館のどの場面を切り取っても、
本質的な教育の要素がにじみ出るのです。
「みんなちがって、みんないい」
オルタナティブな教育を考える上では
とても意味深いコトバです。
学校へ行く道があるのと同じように
学校へ行かない道があっていい。
大学へ行く道があるのと同じように
職の道へと続く道があってもいいのです。
堂々と学校へ行かない道を歩きましょう!
学校へ行く以上に、
大切なことをたくさん学べばいいだけなんです。
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