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日誌

せっかく不登校になったのに・・・

不登校になると多くの子どもたちは
まるで自分が犯罪者になったかのように
人目を忍んで生きるようになっていきます。
子どもだけじゃありません。
ひょっとしてみなさんもそうだったかもしれませんね。


誰にも会わないように
誰からも話しかけられないように
過ごしてこられたのかもしれません。
どうしてでしょう???
それは「不登校」そのものに
かなりネガティブな意味が込められているからです。
例えば、根暗、病気、あるいは、障がい・・・
これは社会学の世界では、「スティグマ」(烙印)と呼ばれていて
本人も家族も、まわりもそのネガティブな意味を了解してしまうのです。
だから、苦しいんです。
今年の3月に知誠館の高校生たちが企画したシンポジウムが
立命館大学の朱雀キャンパスで開催されました。
そのテーマは
「学校へ行かない問題、学校へ行き続ける問題」
彼らには主張したいことがありました。
「僕たちは、学校へ行ってないから
“不登校”と呼ばれ社会から問題視されます。
でも僕たちは、毎日アウラで学び、いろんなことを考え、
それを仲間たちと議論して学んでいます。
世の多くの高校生たちは、学校へ通っています。
学校へ通っているから「問題な子」とは言われないでしょう。
でも、ただ何となく学校へ行っているだけで
ほとんど何も考えないで生きている高校生が
結構いるんじゃないでしょうか?
学校へ行ってないけれど
自分の人生に向き合って生きようとしている僕たちと
ただ何となく、学校へ行っている高校生
いったいどっちが問題なんでしょう?
学校へ行っている、いっていない
たったそれだけで問題かどうかを判断するって
おかしくないですか?」
それが彼らの主張だったんです。
当日のシンポジウムには、
70名ほどの人が集まってくれました。
2つの新聞が事前に取り上げてくれたこともあって
NHKのテレビまで取材に入り、
全国に彼らの主張が届けられたのです。
参加者は口々に「不登校のイメージが変わった」と
感想を述べてくれました。
彼らの姿が、その声が、
社会に対して何かを投げかけた瞬間だったのかもしれません。
「せっかく不登校になったのに・・・」
その続きは、
「変わらな、損や!」でした。
関西弁になってしまいましたね。笑
せっかく苦しんだんですから、大きく変わらないと・・・
社会に対して何かを主張できるくらいのたくましさを手に入れないと・・・
私はそう思うんですね。
そして、「そんな教育を実現したい」という思いで
知誠館の活動を始めたんです。
「人生の逆転満塁ホームラン」
大きな挫折があったからこそ
最高の笑顔が現れる
私たちは、そんな教育を実現したいと日々願っているんです。
私たちの教育のゴールは、
単なる学校復帰ではありません。
不登校に苦しむ子どもたちが
その家族が
「不登校になって本当によかった」って
言ってくれるようになることなんです。
私たちはそんな日を
共に喜びあえるようになるまで
粘り強くかかわっていきたいのです。
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