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日誌

ある対話から

アウラ学びの森知誠館では、対話を大事にしています。
対話といっても、何も堅苦しいことを話すのではありません。
日常の中での生徒やスタッフとの何気ない話の中で見えてくること、それを大事にしています。


先日も北村塾長と話をしていて私なりに考えたことがありました。
それは、「聴く耳を育てる」ということです。
福祉の領域ではどうしても「施し」になることがあります。
不登校や引きこもりを経験した若者が、彼らなりに自立していくことは、用意された入れ物の中で生きていくことではないでしょう。
ある生徒が友達とトラブルになった際にこんなことをつぶやきました
─別に頼んだわけじゃないし…─

共通の趣味で始めたと思っていたことが、実は「よかれ」と思って付き合ってもらっていたことだった。彼の中には、自分の体調や気分の波で趣味を続けることができないことを悪く思う気持ちと、別に自分が頼んだわけではないから自分は悪くないという気持ちの両方が混在し、葛藤しているようでした。
私も彼と同じような体験をしたことがありますが、彼の友達と同じ経験もしたことがあります。
その時私は「せっかくお前のために考えたのに…」とか「頼んでないって何やねん…」と思ったと思います。
もしかしたら彼の友達も私のように思っているかもしれません。
「せっかく考えたのに」
この気持ちはどこから来たのでしょうか。
もしかしたら私の中に、「こうしておけばいいだろう」という決めつけがあったのかもしれません。
目の前にいる人が本当に必要としているものが何か。それを聴く耳をもっていなかったこと、声を聴こうと対話をしなかったこと、それらが私の穿った物の見方につながっていたのでしょう。
もっと聴く耳を育てないといけないと、改めて思った塾長との対話でした。
庭の木