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日誌

消費の対象となっていく若者たち

通信制高校の多くが、生徒募集に苦労しています。
行政から委託を受けている若者支援の現場も、その実績を数字であげることに一生懸命になっていきます。
若者たちの存在が、いつの間にか数字に置き換わってしまう時、そこに失われていくものがあるように思えてなりません。


消費社会がもたらすネガティブな側面に警鐘を鳴らしたのは、フランス人のボードリヤールですが、
生徒や若者たちが消費の対象になったときに、彼らの人生は簡単に数字に置き換えられていくのです。
生徒たちの人生には、様々な固有の物語が埋め込まれています。
私たちは、その一つ一つを大事に拾い上げたいと考えています。
途絶えていた物語を、また新しいストーリーで生徒自身が描き始めることができるようにサポートすることが
私たちの仕事だと考えているわけです。
人生の物語は、決して数字に置き換えられるようなものではありません。
定量化できるような、単純なものではないはずです。
その重さを肌で感じ、その質をていねいに吟味しながら、そこにどう向き合っていくのか?
そこを私たち自身が問わないと、若者たちは変わっていかないように思います。
「不登校」や「ひきこもり」といった若者たちの社会問題、
その背景には、消費社会に裏付けられたポストモダンへと向かう大きな社会のうねりがあるように思います。
見方を変えれば、彼らはこの社会のうねりの中で弾き飛ばされ、そこで挫折を味わい、苦しみの渦中にあったわけです。
だからこそ、彼らはそのうねりを超えたところで、新たに自分自身の物語を描き出さないといけないように思うのです。
いつしか消費の対象とされていく若者たち、
しかし私たちは、彼らに消費を超えた存在になることを求めているのかもしれません。
力強く立ってほしいと願っているのです。
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