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日誌

言葉にすること

風薫る5月。暖かいというよりも、思わず「暑い!」と言ってしまうような日差しもさし始め、季節が夏に向けて走り出しているような気がします。
ゴールデンウィークが明け、知誠館の生徒はまだ少し休みの感覚がとれていないようですが、5月の知誠館も始まりました。


そんなゴールデンウィークに入る前、知誠館の生徒たちに、この知誠館のブログの更新方法を教える機会を持ちました。
2014年4月9日ブログ更新方法講座1
新しい知誠館のブログでは、生徒も発信者になります(4月9日の更新分を見ていただくと、実際に生徒が更新した記事をご覧になれます)。
生徒による情報発信、定着するまではまだ時間がかかりそうですが、今後も更新をせっつきたいと思います(「まずあなたがちゃんと更新しなさいよ!」という声が聞こえてきそうですが・・・)!
実はわたくし、この取り組みをとても楽しみにしていました。
知誠館では、生徒が生徒自身の言葉で自らについて語る「ラウンドセッション」という機会を定期的に設けています。覚束ない言葉でたどたどしく、けれど確実に、一つ一つ丁寧に言葉を紡ぎ出す彼らと、彼らが発するその物語には、たいへん心が揺さぶられます。
ここでの言葉は、塾長をはじめとするスタッフや他の生徒との「セッション」の中から生まれてくるものです。だからこそ、本人も思いもよらなかったような言葉がぽろっと出てきたり、こんなことまで話すなんて、と思うようなことまで語ってしまったり等、様々な化学反応によって生まれる言葉が存在します。毎回そんな場面の目撃者になれることがとても嬉しく、語ってくれた生徒に対する感謝と畏敬の念を抱くのですが、この「セッション」で生まれる「言葉」と、文字に起こされる「言葉」は、また少し異なると思うのです。
2014年4月9日ブログ更新方法講座2
文字になる「言葉」は、ちょっとよそいきの、ええかっこしいな言葉になります。そんな「言葉」を、苦しんだり、悩んだり、迷ったり、考えたりしながら綴ることは、とても重要なことだと私は考えています。慣れないうちは、文章を書くということは大きなストレスになります。ですが、「このままやったら何か変な文章になってしまうな」「この「を」、「に」にしな日本語として変やな」等ということを自分で考えて、一つの文章を書きあげるという行為は、日本語を母語とする私達にとって、とても大切な作業だと思うのです。
もちろん、ここはブログという場。生徒が書いた文章をこちらで添削したり、推敲したりすることはありません。生徒が書いた文章を、基本的にはそのまま掲載しています。ですが、文章を書く機会が少しでも増えることで、自分がこんな文章を書くんだ、ということを認識する機会が増えたらいいな、と思っています。
大学のような高等教育を母国語で行える国は、わずかしか存在しないそうです。日本で、生まれた時から話し、書いてきた日本語で、幼稚園から大学までの教育を受けられるということは、それだけ日本語が言語として発達、あるいは熟している証拠です。そんな日本語を「書く」時間に、このブログが有意義に使われたらな~と思います。
このブログを読んでる生徒のみんな!まあ、田中は好き勝手こんなこと書いてますが、気軽に何でも書いていきましょう!みんなの更新、楽しみにしています。