知誠館の卒業式について
こんにちは。田中です。
前回更新したブログでは触れなかったのですが、本格的に知誠館に携わるようになったのは今年度からなものの、実は、私は昨年度の秋頃から知誠館に関わらせてもらっていました。そして、その数ヶ月後にあった知誠館の卒業式にも参加させてもらいました。その昨年度の知誠館の卒業式について書いた文章を塾長にお見せしたところ、知誠館のブログに載せてみたら、というお言葉をいただいたので、以下にその文章を掲載したいと思います。
間に空白の期間を挟みながら書いたものなので、文章の印象や書く視点がこの短い文中で変化してしまい、読みづらいこともあるかもしれませんが、知誠館の卒業式で感じたことの一部を、ここに書きました。少し長い文章ではありますが、読んでいただければ幸いです。
3月22日金曜日、知誠館の卒業式がありました。ほんの数ヶ月、しかも週に一回しか知誠館に関わってこなかった私が卒業式に出席させてもらうなんておこがましいんじゃないか、と思いもしたのですが、お言葉に甘えてちゃっかりと出席させていただきました。
これまでに小学校から大学まで、計4回の「卒業式」なるものを経験しましたが、「卒業式」という言葉で表現されるセレモニーは、私にとってそれほど感動を喚起するものではありませんでした。冗長かつ形式的なあいさつに眠気を催してしまう、どちらかというと、早く終わってほしいと思うようなものでしかなかったのです。そんな私が知誠館の卒業式に参加して思ったことや感じたこと、またそれらの思いはどこからくるのだろうか、ということを考えたうえで気づいたことについて、つらつらと書いてみたいと思います。
知誠館の卒業式は感動的だ、という噂はかねてより塾長や小牧先生からちらほらと伺っていました。ですので、「ふむふむ、知誠館の卒業式は感動的なんだな、わくわく」などと思ってはいたのですが、それと同時に「でもそれは塾長や小牧先生は毎日長時間生徒と向き合っていらっしゃるからであって、私のような、前述したように短い期間しかみんなとの時間を過ごしていない者にはそれほど感動的ではないんじゃないか」と、これまでの「卒業式」の経験も踏まえて高をくくってもいました。この予想は、想像をはるかに超えたレベルで裏切られることになるのですが。
では、知誠館の卒業式はどうだったのか。一言で言うと、それは「感動的」でした。こう書くととても陳腐に聞こえてしまいそうなのですが、本当に感動的で、私は式の後半の間、ずっとぽろぽろと涙を流してしまっていたくらいです。「卒業式」ってこんなに泣けるものなのか、と自分でも驚くほどでした。ここからは、まず私がどういったところで感動し、涙したかを振り返りつつ、ではどうしてそれが感動的かつ涙を誘う場面だったのかを考えたいと思います。
私が特に感動し、涙した場面は以下の三つです。
・在校生代表による送辞
・卒業生代表による答辞
・卒業生の保護者の方のあいさつ
この三つの場面の様子を詳細に述べることはここではしませんが、この三つの場面には、誰にでも分かる当たり前な、それでいて大きな共通点があります。それは、「言葉」が語られる場面だということです。
「言葉」が語られる場面が感動的だったということは分かりました。でも、言葉さえ語られていればどんな場面でも感動的だということではもちろんありません。何せ、先ほど述べたように、これまでの卒業式の送辞や答辞で涙したことはないのですから。ましてや、自分が365日、密に関わってきた学校生活を総括する場である、自分の卒業式で語られる言葉で感動に涙したことがないのに、どうして知誠館で語られる言葉がこうも感動的で、涙を誘うのか。それは、おそらくある違いからくるものだと私は思います。 その違いとは、「そこで語られる言葉が、本物の言葉かどうか」という、たった一点の違いです。
「本物の言葉かどうか」と言うと、曖昧で抽象的に聞こえてしまうかもしれません。私がここで使った「本物」の言葉とは、言い換えると、「自らが自らの経験を通して得た心からの言葉」といったものにでもなるかと思います。知誠館の卒業式で語られた言葉は、そういった意味で「本物」の言葉だったのです。
先ほども述べたように、私は知誠館にそれほど長い期間、頻繁に関わってきたわけではありません。ですから、何を以ってしてそこで語られた言葉を「本物」と感じるのか。それは言ってしまえば、「勘」、あるいは「直感」、「本能」によるものです。こういった言葉で説明してしまうと、ここで書いたことの信憑性を問われてしまいそうですが、実際にそうなのだから仕方ありません。でも、言葉を「本物」だと感じる理由はそんなものではないでしょうか。卒業式での市区町村長の挨拶で涙した人はなかなかいないでしょう。それは、そこで語られる言葉が、ここで言うところの「本物」じゃないからです。「本物」の言葉は、そこでの活動に参加した密度の濃い薄いに関わらず、人の心の琴線を揺さぶるものだと思います。テレビの感動的なドキュメンタリーを見て私たちが涙するのは、そこに登場する人たちと実際に濃密に関わってきたからではありませんよね。そこで画面を通して伝わってくる「本物」の態度、語られる「本物」の言葉によって私たちは感動し、涙を流すのです。
少し話がそれてしまいました。要するに、知誠館の卒業式で語られる言葉は「本物」だった、だからあんなにも感動的だったのだ、と言いたかったのです。そうすると、これまで私が経験してきた卒業式がそれほど感動的ではなかったということは、そこで語られた言葉は私にとって「本物」とは言い難いものだった、ということになります。(あくまでも「私にとって」ですが。)「本物」の言葉が語られる卒業式と、そうでない卒業式。言い換えると、「本物」の言葉が得られるような学びが存在した場所と、そうでない場所。どちらがより魅力的でしょうか。
もちろん、そのような言葉が語られ得るまでには、私の想像を絶する辛い期間があり、その間に様々な苦悩や葛藤があっただろうことは言うまでもありません。また、不登校になっていない、いわゆる「学校」に通っている子どもたちの中にも、同じような不安や苦悩、辛さを抱え、なおかつそれを乗り越えた子どもたちはたくさんいるはずですから、決して単純に比較できるものではありません。ですが、良くも悪くも、何となく規定のカリキュラムを終え、何となく卒業していく子どもたちがマジョリティであり、その形式化された卒業式が非感動的であることは確かなのではないでしょうか。
だからと言って、みんな不登校になって知誠館に通えばいいというわけではありません。何が言いたいのかというと、―結果論になってしまいますが―不登校になって知誠館に通い、辛いことを抱えながらもそこでの学びを通じて「本物」の言葉を語れるようになった生徒には、私には見えない世界の見え方があるのではないか。そして、それは実はとても魅力的で、豊かな世界の見え方なのではないか、ということです。
前回更新したブログでは触れなかったのですが、本格的に知誠館に携わるようになったのは今年度からなものの、実は、私は昨年度の秋頃から知誠館に関わらせてもらっていました。そして、その数ヶ月後にあった知誠館の卒業式にも参加させてもらいました。その昨年度の知誠館の卒業式について書いた文章を塾長にお見せしたところ、知誠館のブログに載せてみたら、というお言葉をいただいたので、以下にその文章を掲載したいと思います。
間に空白の期間を挟みながら書いたものなので、文章の印象や書く視点がこの短い文中で変化してしまい、読みづらいこともあるかもしれませんが、知誠館の卒業式で感じたことの一部を、ここに書きました。少し長い文章ではありますが、読んでいただければ幸いです。
3月22日金曜日、知誠館の卒業式がありました。ほんの数ヶ月、しかも週に一回しか知誠館に関わってこなかった私が卒業式に出席させてもらうなんておこがましいんじゃないか、と思いもしたのですが、お言葉に甘えてちゃっかりと出席させていただきました。
これまでに小学校から大学まで、計4回の「卒業式」なるものを経験しましたが、「卒業式」という言葉で表現されるセレモニーは、私にとってそれほど感動を喚起するものではありませんでした。冗長かつ形式的なあいさつに眠気を催してしまう、どちらかというと、早く終わってほしいと思うようなものでしかなかったのです。そんな私が知誠館の卒業式に参加して思ったことや感じたこと、またそれらの思いはどこからくるのだろうか、ということを考えたうえで気づいたことについて、つらつらと書いてみたいと思います。
知誠館の卒業式は感動的だ、という噂はかねてより塾長や小牧先生からちらほらと伺っていました。ですので、「ふむふむ、知誠館の卒業式は感動的なんだな、わくわく」などと思ってはいたのですが、それと同時に「でもそれは塾長や小牧先生は毎日長時間生徒と向き合っていらっしゃるからであって、私のような、前述したように短い期間しかみんなとの時間を過ごしていない者にはそれほど感動的ではないんじゃないか」と、これまでの「卒業式」の経験も踏まえて高をくくってもいました。この予想は、想像をはるかに超えたレベルで裏切られることになるのですが。
では、知誠館の卒業式はどうだったのか。一言で言うと、それは「感動的」でした。こう書くととても陳腐に聞こえてしまいそうなのですが、本当に感動的で、私は式の後半の間、ずっとぽろぽろと涙を流してしまっていたくらいです。「卒業式」ってこんなに泣けるものなのか、と自分でも驚くほどでした。ここからは、まず私がどういったところで感動し、涙したかを振り返りつつ、ではどうしてそれが感動的かつ涙を誘う場面だったのかを考えたいと思います。
私が特に感動し、涙した場面は以下の三つです。
・在校生代表による送辞
・卒業生代表による答辞
・卒業生の保護者の方のあいさつ
この三つの場面の様子を詳細に述べることはここではしませんが、この三つの場面には、誰にでも分かる当たり前な、それでいて大きな共通点があります。それは、「言葉」が語られる場面だということです。
「言葉」が語られる場面が感動的だったということは分かりました。でも、言葉さえ語られていればどんな場面でも感動的だということではもちろんありません。何せ、先ほど述べたように、これまでの卒業式の送辞や答辞で涙したことはないのですから。ましてや、自分が365日、密に関わってきた学校生活を総括する場である、自分の卒業式で語られる言葉で感動に涙したことがないのに、どうして知誠館で語られる言葉がこうも感動的で、涙を誘うのか。それは、おそらくある違いからくるものだと私は思います。 その違いとは、「そこで語られる言葉が、本物の言葉かどうか」という、たった一点の違いです。
「本物の言葉かどうか」と言うと、曖昧で抽象的に聞こえてしまうかもしれません。私がここで使った「本物」の言葉とは、言い換えると、「自らが自らの経験を通して得た心からの言葉」といったものにでもなるかと思います。知誠館の卒業式で語られた言葉は、そういった意味で「本物」の言葉だったのです。
先ほども述べたように、私は知誠館にそれほど長い期間、頻繁に関わってきたわけではありません。ですから、何を以ってしてそこで語られた言葉を「本物」と感じるのか。それは言ってしまえば、「勘」、あるいは「直感」、「本能」によるものです。こういった言葉で説明してしまうと、ここで書いたことの信憑性を問われてしまいそうですが、実際にそうなのだから仕方ありません。でも、言葉を「本物」だと感じる理由はそんなものではないでしょうか。卒業式での市区町村長の挨拶で涙した人はなかなかいないでしょう。それは、そこで語られる言葉が、ここで言うところの「本物」じゃないからです。「本物」の言葉は、そこでの活動に参加した密度の濃い薄いに関わらず、人の心の琴線を揺さぶるものだと思います。テレビの感動的なドキュメンタリーを見て私たちが涙するのは、そこに登場する人たちと実際に濃密に関わってきたからではありませんよね。そこで画面を通して伝わってくる「本物」の態度、語られる「本物」の言葉によって私たちは感動し、涙を流すのです。
少し話がそれてしまいました。要するに、知誠館の卒業式で語られる言葉は「本物」だった、だからあんなにも感動的だったのだ、と言いたかったのです。そうすると、これまで私が経験してきた卒業式がそれほど感動的ではなかったということは、そこで語られた言葉は私にとって「本物」とは言い難いものだった、ということになります。(あくまでも「私にとって」ですが。)「本物」の言葉が語られる卒業式と、そうでない卒業式。言い換えると、「本物」の言葉が得られるような学びが存在した場所と、そうでない場所。どちらがより魅力的でしょうか。
もちろん、そのような言葉が語られ得るまでには、私の想像を絶する辛い期間があり、その間に様々な苦悩や葛藤があっただろうことは言うまでもありません。また、不登校になっていない、いわゆる「学校」に通っている子どもたちの中にも、同じような不安や苦悩、辛さを抱え、なおかつそれを乗り越えた子どもたちはたくさんいるはずですから、決して単純に比較できるものではありません。ですが、良くも悪くも、何となく規定のカリキュラムを終え、何となく卒業していく子どもたちがマジョリティであり、その形式化された卒業式が非感動的であることは確かなのではないでしょうか。
だからと言って、みんな不登校になって知誠館に通えばいいというわけではありません。何が言いたいのかというと、―結果論になってしまいますが―不登校になって知誠館に通い、辛いことを抱えながらもそこでの学びを通じて「本物」の言葉を語れるようになった生徒には、私には見えない世界の見え方があるのではないか。そして、それは実はとても魅力的で、豊かな世界の見え方なのではないか、ということです。