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日誌

生徒はどう思っているんだろう?

こんにちは、学びの森の王です。

いつのまにかもう6月…自分も常勤スタッフとして活動して2ヶ月が経ちました!

こうして振り返ってみると、長かったような短かったような…

仕事にも慣れてきたように思います。

 

さて、最近考えていることをブログでも共有したいと思います。

それは生徒の「主体性」についてです。

 

例えば、「探究」の時間。

生徒が「これについて調べたい!」と思ったものを調べて、まとめて、発表する。

それは、生徒が主体的であるといえると思います。

 

その一方で、先生が生徒に「探究どうする?〜について調べたいとか言ってなかったっけ?」と声をかけた際に、「ん〜どっちでもいい」と反応することもあります。

これは、生徒がその決定権を自分ではなく他者に委ねていると捉えることもできます。

それは、主体的といえるのか?

 

そもそも、子どもに主体性を求める必要があるのか??

 

これについてはさまざまな意見はあると思います。

「子どもは自分のやりたいことを言語化することが難しいから、子どもに主体性を求めるのも困難なのではないか?」

「子どもが自分のやりたいことを表明してくれないと、全て大人が決めることになってしまう、それでいいのか?」

 

うーん、むずかしい…

何が正解なのかわからない…

そもそも正解はあるのか…

 

といろいろ考えていたのですが、主体性というのは個人の要因だけじゃなく、環境にも影響されているのでは?と感じました。

 

例えばある中学生のゼミで、先生が生徒に質問を振った時に、1人が「うーん、特にない」と言ってしまうと、他の人もそれに続いてノーコメントが続いてしまう…

中には何かを言いたそうにしているけれど、結局いえなかった生徒もいる…

このような場面は中学生の方が多そうですね。周りからどう思われるのかが気になってしまうのはよくあることかもしれません。

 

一方で小学生のゼミに入ってみると、先生が「どうしてこうなるでしょうか?」という質問に対して、生徒は「こうだからじゃない?」「〜だからでしょ!」と活発に議論が繰り広げられます。みんな、自分の意見を主張できているような雰囲気があるのです。

 

たしかに上記のような違いは、ただ小学生に好奇心旺盛で活発な子どもが多く、中学生はおとなしい子が多いことによる、と片付けられるかもしれません。

ただ、視点を変えてみると、周囲が自分の意見を出しているか、そうでないのかの違いもあると思います。

 

子どもが主体性を発揮するのかどうか…それは、環境による影響も無視できないかもしれないですね。

 

これまで学びの森では、生徒のふとした意見によって新しい取り組みが始まったりしていました。

それは、生徒が主体性を発揮した結果であり、学びの森という場所において、自分の意見を言っても大丈夫という安心感があったのではないかと考えられます。

 

みんなの前で意見を聞くのではなく、個別で意見を聞いてみたらどうなるだろう?

匿名のアンケート形式だったら、主張しやすいのかな?

 

上記のような環境調整も考えてみたいなぁと思う今日この頃です。

 

ミーティングでもいろいろ話しますが、最終的には「生徒はどう思ってるんだろう?」にたどり着きます。

個人的には、やはり生徒に主張したいことがあるのなら、ぜひ主張して欲しいなぁと思います。(本当に意見がない時もあるかもしれませんが)