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日誌

脚本づくり

どうも、学びの森のキノシタです。

今日は約1ヵ月ぶりに「映像」の講座がありました。

 

今回取り組んだ課題は「脚本づくり」です。

講師の田中さんによれば、脚本は言わば料理のレシピ。

 

いくら食材があっても、レシピが無いとどんな料理を作るかを決めることはできません。

映画も同様、この脚本がどんな映画を作るかの要となります。

 

僕は小学4年生のペアと一緒に脚本をつくっていました。

前回大体の「起承転結」は決めていたのですが、いざ話し合いがスタートすると作業は難航…。

 

ふたりとも「面白いと思ってもらえる映画をつくりたい」という想いは同じなのですが、意見が全然噛み合いません。

よくよく意見を聞いていると、お互いの「面白いと思うこと」が違うことがわかりました。

 

A君は、毎回のカットに何だコレ?と目を惹くもの/異質なものが映っているというシュールさが面白い。

一方B君は、わかりやすいストーリー展開で笑いどころを共有する/共感できることが面白い。

僕がこんな風に言語化すると、お互いの考えていることが腑に落ちたみたいで、「じゃあどうしよう」と再び話し合いを始めました。

 

その後もこうした場面がたくさん出てきて、脚本づくり(映画全体もそうだと思います)は「自分自身について語ること」と同じなんだと思いました。

なぜなら、「こんな風にしたい!」と意見を出したら、必ず「なんで?」と問い返される、言い換えれば、「こんな風にしたい!と思う”自分自身は何なのか?”」が常に問われると思うからです。

 

最近、学びの森では改めて<探究>という時間について定義しなおそうと、スタッフ間や生徒たちと議論をしています。

この<探究>の定義として僕が挙げた中にも「自分自身に目を向ける=問いを立てること」と「その答えを他者に伝わるカタチにすること」がありました。

 

脚本づくりの場面であれば、自分が「面白いと思うこと」って何だろう?なんで自分はそれが「面白い」と思うんやろう?と考え(自分自身に目を向ける=問いを立てること)、それを言語化して相手に伝える+脚本に仕上げる(その答えを他者に伝わるカタチにすること)という一連のプロセスが<探究>の定義に近いように思います。

 

講座の中では、A君もB君もこうした思考を働かせているのが伝わりました。

それが日常の中で意識的にできたら、色々な体験がもっと味わい深いもの、意味として自分の中に残るものになるかもしれません。

そういう作業をこそ、学びの森で取り組みたいと僕は考えています。

 

脚本づくりから少し話が逸れてしまいましたが、文脈はつながっていると思います。

脚本ができたら、次は絵コンテというカタチで、脚本をさらに実際につくりたい映画に近づける作業が待っています。

その先は撮影と編集で、つくりたいものを他者に観てもらえる強度にまで高めなければなりません。

 

そう考えると、映画をつくるプロセスにも「自分自身に目を向ける=問いを立てること」と「その答えを他者に伝わるカタチにすること」が何度も起こるなぁと。

難しかったり煩わしかったりもしますが、それが楽しいから必要だから講師の田中さんも映画をつくり続けているとおっしゃっていました。

 

3月まであと2ヵ月!

完成させるには正直厳しいスケジュール!笑

みんな頑張ろー!

では、また~