根っこの部分
どうも、学びの森のキノシタです。
いや~暑いですね、、。もう駅から歩くのが億劫になるぐらい暑い、、。
教室も昼過ぎから急に蒸し暑くなるし、夏は苦手です、、。
それはさておき、先日生徒たちと<日吉BBQ>についての振り返りをしたんです。
なぜなら「なんか良い感じ」だったということをみんなはどう感じていたのか?またそれはなぜか?という問いを一緒に考えてみたかったからです。
小学生は小学生、中高生は中高生で集まって話し合いました。
結論から言うと、みんな「なんか良い感じ」は共有していたようです。
じゃあその感じを成立させていたものはいったい何だったのか?
小学生にはまだ言語化が難しそうだったので、僕の仮説を提示してみました。
・日吉BBQは、”みんなが楽しめる時間をつくる”という目的をみんなで共有できていた
・その目的を達成するために、自分たちのやりたいこと/やるべきこと(苦手なことも含め)に取り組んだ
・こうしたこと全部に対して、ちゃんと合意がつくられていた
ちょっと抽象的な言葉が多いので、具体的な場面も交えながら仮説を説明していると、みんなうなずいているではありませんか!
これはなんとなく伝わってるのでは!?
生徒たちの多くがそう思える表情をしていました。
中高生になると、「なんとなく良い感じ」に対する言葉はもちろん、自分たちで仮説も出てきたのが面白かったです。
・昨年よりもみんなが「参加してる」感じがした
・それぞれやりたいことややるべきことをしているけど、全体としてまとまりがあった(カオスではない)
・みんなが「自分だけ」じゃなく「他の人のことも」考えて行動していた
・中高生の企画を小学生も楽しもうと乗っかってくれた
・中高生で企画や運営をすることの経験が活かされていた(小学生も慣れてきたのかも)
などなど、僕もなるほどなぁと思いながら意見を聞いていました。
生徒たちと話をして、やっぱり「目的を共有していること」と「そこにちゃんと合意が形成されていること」って大事なんだと改めて思いました。
その場、その時間がどういう目的を持ったものなのか?
根っこの部分を共有、合意形成できていれば、あとはそれぞれが考えて行動するだけで「なんか良い時間」は作れるのかもしれません。
では学びの森の根っこの部分って何なのか?
それはきっと「学ぶ」ということなんでしょう。
すべての活動の根っこには、「学ぶ」という目的があるはずで、これは「勉強」だから嫌、これは「勉強じゃない」から好き―と、分断されているのでは決してない。
最後にそういったことを共有しながら、僕としてはそういう時間を学びの森の「当たり前」にしたいと思っていること、
そのために、ハルマチで一日「過ごすこと」に挑戦したり、図書館で半日「本に没頭する」に挑戦したりしてきたこと、
だから今月も、半日何かを「つくること」に挑戦してみたいということを伝えました。
なんかこうしないといけません、こうしてくださいっていう感じじゃなくて、素直に色々話し合えたような気がします。
もっとこういう時間ってあっていいのかも。
生徒やスタッフ関係なく、学びの森で学ぶ当事者として平場で考え合う時間…なんか良さそう。
とりあえず21日の<作家の時間(仮)>をどう過ごすか。
みんなで話しあってつくっていこうと思います。
では、また~