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日誌

なんで自分は「日本人」なんやろう?

こんばんは、学びの森のキノシタです。

 

 

 

 

先週、浜辺ふう(はまべ ふう)さんの<出会い場>がありました。

 

 

 

 

また、なんとこの日は<東九条フィールドワーク>でお世話になる村木美都子(むらき みとこ)さんも一緒に来てくださいました。

 

 

 

 

おふたりとも、<出会い場>だけでなくその後の<ゼミ>にも参加してくれて、ゆったりたっぷりお話しすることができました。

 

 

 

 

今回のブログでは、その日の様子をお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ふうさんは現在、演劇のソロユニット「九条劇」主宰・劇作家・演出家・俳優・東九条のまちづくりなど、多岐にわたる活動をしておられます。

 

 

 

 

今回の<出会い場>では、そんなふうさんの活動の原点でもあるライフストーリーをお話してもらいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

在日コリアンの方が数多く暮らす「東九条」という町で生まれ育ったふうさんは、

 

 

 

 

幼少の頃からその文化を「当たり前」のように受けとって育ってきました。

 

 

 

 

同世代の友達との関わり、地域のお祭りなど、日常のあらゆる場面に韓国朝鮮の文化がありました。

 

 

 

 

もちろん、そこには日本の文化もあり、いわば「ごちゃまぜ」の中で過ごしてきたそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でもある時、自分が「日本人」であることを突き付けられる出来事が起こります。

 

 

 

 

それはふうさんが6歳のころ、友達が本名から日本名を名乗ろうとしたときのことでした。

 

 

 

 

ふうさんは素朴な疑問をお母さんに投げかけます。

 

 

 

 

「私のふたつめの名前って何?」

 

 

 

 

返ってきた言葉は

 

 

 

 

「あんたは”浜辺ふう”っていう名前ひとつだけやで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今まで見えることのなかった「日本人」と「韓国朝鮮人」という壁が、その日から急に自分の中で立ち現れた、とふうさんは表現していました。

 

 

 

 

その後の人生でも、ふうさんはその「壁」を感じる出来事を数多く経験し、

 

 

 

 

その度に、自分はなんで「日本人」なんやろう?自分っていったい何者なんやろう?と考え続けてきたそうです。

 

 

 

 

自分の名前をハングルで書いていた話、名前を間違えられるためにわざと難しい漢字を使ってみた話、

 

 

 

 

ここに書ききれないくらいたくさんの「壁」を感じ、それと向き合いながら生きてきた人なんだと思いました。

 

 

 

 

また、そうやって考え、悩み続ける自分のことを、当時は誰にも理解されない苦しみもあったと語っていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ふうさんが語る言葉は、一つひとつとても重みがありました。

 

 

 

 

それは、嬉しかった出来事も、怒りを感じた出来事も、哀しかった出来事も、楽しかった出来事も、

 

 

 

 

それぞれに対して自分がどう思い考えたのかを、ことばにし続けてきたからこその重みだと思います。

 

 

 

 

冒頭でも紹介したように、ふうさんは現在色んな活動に関わられています。

 

 

 

 

その活動はすべて、ふうさんがこの日語ったことと地続きで、決して浮足立ったものではありません。

 

 

 

 

高い感性を持ち、それをなんとかことばやその他のカタチで表現しようとし続ける姿がとても素敵だなと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

<出会い場>のあとの<ゼミ>では、グループに分かれて引き続きゆっくり話をしよう、ということになりました。

 

 

 

 

ふうさんの話を聞いて感じたこと、考えたことなどをそれぞれ話しました。

 

 

 

 

 

 

僕の参加したグループの生徒やスタッフからは、

 

 

 

・自分は今まで「日本人」だと考えたこともなかった

 

 

・自分はどちらかと言えば「沖縄人」としてのアイデンティティがあるかも

 

 

・英語を勉強する/教えるようになって初めて、自分のアイデンティティの揺れや他者との摩擦を感じたことを思い出した

 

 

 

という意見が出てきました。

 

 

 

 

また、別のグループでは村木さんが生徒と同じ目線でばんばん意見をおっしゃられていたのも印象的でした。

 

 

 

・自分と「ちがう」部分があるから面白いと私は思う

 

 

・もっともっとその「ちがう」部分を出し合って、認め合っていけたらいいのに

 

 

 

僕の耳に入ってきたのはそんな風な意見でしたが、生徒はその意見を真剣に受け止め、自分のこととして考えていたように思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に、各グループで出てきた意見の報告をし、みんなでこの時間の<振り返り>を書きました。

 

 

 

 

みんなたくさん書いていたので本当は全部ご紹介したいのですが、

 

 

 

 

それはシリーズ「生徒のことば」でご紹介するとして、ここではその一部のみご紹介したいと思います。

 

 

 

 

【Aさん】

 

自分も他の人たちとはちがう部分があり、軽く差別のようになったこともあり、

 

共感できることはたくさんありました。

 

しかし、話を聞いていて、自分はあまり強く”意志”を持つことができていないと感じました。

 

もっと強い「心」を持って、前に進めるようになりたいと思いました。

 

そして、私はまだあまり『自分』を理解できていないので、もっと自分を知り、

 

自分のはっきりした強い意志を見つけて進みたいと強く思いました。

 

それが今自分の持っている中で最も強い”意志”だと思うので、それを持って

 

進んでいこう、と決めることができました。

 

 

 

 

【Bさん】

 

村木さんが言っていたことで、「表現するということはとても大事で、

 

例えば、絵で表現するときに上手か下手かは関係ない。どの絵でもそれが

 

その人の表現で、絵に悩みすぎて何も描けなかったとしても、それがその人の

 

表現だから、合わせる必要はなにもない」という言葉が強く印象に残った。

 

 

 

 

【Cさん】

 

話を聞いて心に残っているのは、自分には2つの名前がないと気づいたところです。

 

僕はいつ(自分が)日本人と気づいたのかが分からなくて、自然と日本人と気づいていたので

 

ちょっと(ふうさんとは)ちがいました。

 

 

 

 

【Dさん】

 

ふうさんが、本当に伝えるのが難しいことを、何とか言葉にして伝えようとしているのがよくわかりました。

 

考え続ける、自分を更新し続けるエネルギーは素晴らしいと思います。しかも、そのエネルギーが人との関係性

 

ーめんどくさいことですがーを丹念に結ぼうとする姿勢に結びついていると思います。

 

自分の身体・行動を持って”仮説”を出し、確かめるとても大事なプロセスだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

などなど、本当にたくさんのことを、ふうさんの話やおふたりとの対話の中から感じ取ったことがわかる<振り返り>でした。

 

 

 

 

よく考えてなんとかことばにしようとして疲れたし、ふうさんの経験と自分の経験とを重ねて心がチクッとしたけど

 

 

 

 

こんな風にして人と人は「出会う」のかもなと、温かい気持ちにもなりました。

 

 

 

 

8月の一人芝居も、この出会いがあったからこそ見えてくるものがあるのかもなと楽しみにしています。

 

 

 

 

次は<東九条フィールドワーク>。どんな出会いが待っているのか、期待と少しの不安に胸が膨らみます。

 

 

 

 

では、また~