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日誌

モノを媒介にした出会い

こんばんは、学びの森のキノシタです。

 

 

 

 

先日<教養講座(芸術)>の第一回目が開講されましたので、その様子をお伝えしたいと思います。

 

 

※<教養講座(芸術)>に関するブログは以下をご参照ください。

 

ブログ:「学びの森の芸術の時間レポート、その1」

 

 

 

 

 

 

 

担当していただくのは、綿引恒平(わたひき こうへい)さんです。

 

 

 

 

今回は綿引さんと生徒たちとが「出会う」ことを目的としていました。

 

 

 

 

そのため、綿引さんの学生の頃からの作品を、たくさん持ってきていただきました。

 

 

 

 

木の箱や段ボールが学びの森の玄関に続々到着していくのを見ているだけで、なんだかワクワクしました。

 

 

 

 

綿引さんには、昨年度から関わってもらっていましたが、実際にたくさんの作品を見るのは初めてだったからです。

 

 

 

 

 

 

 

 

生徒の中には、昨年から綿引さんのことを知っている生徒もおり、あいさつを交わしている姿を見ながら、

 

 

 

 

昨年度の取り組みや、綿引さんとの関わりが、何らかのカタチでその生徒たちの中に残っているように思いました。

 

 

 

 

一方初めて綿引さんに会う生徒は、やっぱり少し緊張しているのが伝わってきました。

 

 

 

 

そんな、ほっこりとした感じやピリッとした感じが入り混じった中で、講座スタートです。

 

 

 

 

 

 

 

 

綿引さんは軽く自己紹介をしたあと、

 

 

「あんまり自分で話すより、先に作品を見てもらおうかな。」

 

 

と言って、作品をひとつ取り出してきました。

 

 

 

 

出てきたのは、何かムキムキな人間?・・・いや、怪獣?

 

 

 

 

綿引さんが「これなんやと思う?」と問いかけても、

 

 

 

 

シーーーーーン…。

 

 

 

 

いや、そらわかりまへんて!なんなんですかそのムキムキ未確認生命体は!!

 

 

 

 

綿引さん曰く、アメコミの「スーパーマン」と、ウルトラマンに出てくる「レッドキング」が合体したやつ、だそうです。

 

 

 

 

へ、へぇ~、なるほど~。

 

 

 

 

いきなりパンチの効いた作品に、みんな若干戸惑っていました。

 

 

 

 

綿引さんはこんな風に、作品を通して

 

 

「僕ってどんな人やと思う?」

 

 

を考えてみてほしい、と生徒たちに投げかけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後も、みんながあっと驚くような作品が出てきました。

 

 

 

 

・ギターを弾き、背中に仏様の入れ墨をいれ、頭にドラムセットがのっかっているマッチョマン

 

 

・前にも背中にもおっぱいがついており、全身がつるっつるに磨き上げられたセクシーダイナマイト

 

 

・シラフ・ほろ酔い・泥酔・酩酊…それぞれが色んな酔い具合をしている、人型のとっくり

 

 

・仮面ライダーやヒーロー戦隊のキャラクターでつくられたミサイル

 

 

・シンプルにええ感じのマグカップ

 

 

 

 

それらに実際に触れたり、机に並べられたりすることで、どれもが何かしら「綿引さん」を物語っているような気がしてきました。

 

 

 

 

生徒にどんな人やと思う?と聞くと

 

 

 

 

こんなイメージが出てきました。

 

 

 

 

僕も昨年から関わらせていただいていますが、実際に会ったときの印象と、作品を通して抱く印象とは違うような気がします。

 

 

 

 

どっちが「ホンモノ」というわけではなく、どちらも「綿引さん」な感じがするのが新鮮で面白かったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、綿引さんは机の上に並べられた作品たちを、どんな思いや経緯でつくったのかを説明してくれました。

 

 

 

 

例えば、ギターを弾くマッチョマンは、音楽が好きな人がそれを見て拝みたくなるような観音様をつくろうと思ってつくったことや、

 

 

 

 

ミサイルは「同時多発テロ」が起こった時に戦争や平和について考えたくてつくったこと、マグカップは家庭を持ったときにつくろうと思ったことなどです。

 

 

 

 

作品には、こうしたその時々の状況や思い、心の動きなどが表現されているんだと知りました。

 

 

 

 

作品という「モノ」を媒介として、綿引さんと出会った/これまでの物語を感じ取ったような気がします。

 

 

 

 

 

 

 

日々の関わり、ゼミでの議論、振り返る行為…。

 

 

 

 

学びの森でのやりとりは、「ことば」を媒介としたものが多いと思います。

 

 

 

 

そういったやりとりの雰囲気とは違った雰囲気が、今回の講座には流れているような気がしました。

 

 

 

 

それは、やりとりの前提となるものが「ことば」ではなく「モノ」だったからだと思います。

 

 

 

 

「ことば」によるやりとりの、応答の仕方は様々だと思いますが、僕らはたいてい「ことば」で応答していると思います。

 

 

 

 

そこにはひょっとすると、応答へのプレッシャーや不自由さがあるのかもしれません。

 

 

 

 

しかし、「モノ」によるやりとりでは、ただそこに”在る”という感覚があれば、応答は必要ないとも言えます。

 

 

 

 

また、「ことば」にはできない思いも、そのまま持っていられる自由さがあるとも思います。

 

 

 

 

その場に流れる雰囲気は、いつもとは違う独特な心地よさを持っており、そんな雰囲気の中だからこそ

 

 

 

 

「出会った」という感覚を持つことができたのかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、講座もいよいよ終盤。

 

 

 

 

これまでのやりとりを踏まえて、改めて

 

 

・綿引さんの印象

 

・芸術って何だろう?

 

 

についてみんなに考えて文章化してもらいました。

 

 

 

 

綿引さんの作品に触れ、綿引さんってどんな人なのかを考える → その上で作品の説明が加わる → このプロセスも含めて、芸術とは何か?を考える。

 

 

 

 

こうした流れがあったからか、みんな黙々と書いていました。

 

 

 

 

 

 

残念ながら今回はすべて紹介できませんが、抜粋・一部修正してご紹介します。

 

 

 

 

【どんな人か?】

 

○ふつうの人

 

 表現するアイデア、技術があるからこそ個性的で面白い作品に見えるけれども、

 

 みんなが「作品」で表現しないだけで、心の中の構図はみんなと同じなんじゃないかと思った。

 

 

○変人で面白い

 

 作品に人格やその変化が出ていて面白かった。やろうと思ったら、細かいことも

 

 大変なことも最後まで集中してやる人なんだと思った。

 

 

○伝えたい思いがある人

 

 一つひとつの作品に、たくさんの思いが込められていると思った。

 

 自分ではない人に「伝わってほしい」と思っていることがすごいと思いました。

 

 

 

 

【芸術とは?】

 

○ただの「モノ」ではなく、何かを伝えるための「手段」である。

 

 

○心を表現して、見せるためのもの。例えば、ひとつのものを見たときの感情などを

 

 周りから見て「面白い」「感動」「不思議」などと、色々思いを持ってもらえるように工夫したもの。

 

 

○その時の環境や思いから、自分がどう考えたのかを、言語や国境をこえて伝えるためのもの。また、

 

 その作品を数十年経った後に自分を含めた人がみて、その人がどう考えていたのかを伝えるためのものでもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなホンマによく考えたんだというのが伝わってくる文章ばかりでした。

 

 

 

 

次回はこれらをもとに、綿引さんに授業をデザインしてもらう予定です。

 

 

 

 

どんな内容だったか、またお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

では、また~