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日誌

語り場 2015.4.17

「語り場」とは、その時中心となる生徒に塾長がインタビューすることを通して自分のライフストーリーを語ってもらう場です。そして、それを聞いた周りの生徒が、自分のライフストーリーと重ね合わせながら語りを紡いでいくことで、輻輳的な語りの場となっていきます。
今回その中心になってくれた生徒は、「めんどくさい」や「別に何でもいい」が口癖のA君。
A君は何を語り、またそれを聞いた他の生徒は何を語ったのか。
その一部をご紹介したいと思います。


私が印象的だったのは、塾長とA君とBさんのやりとりでした。
 ─進路について話していた中で─
  塾長:何かきめていかなあかんのよねきっとね。んで何か決めていくっていうことはめんどくさいこと引き受けなあかんねんけどな。
  A:うん…
  塾長:んで、今日A君に話をする前に、僕の中ではA君っていつも「めんどくさい」って言ってるよな気がしてて、僕の中ではBちゃんも「めんどくさい」って勉強のことで言ってた記憶があって…。でもこの頃あんまり言わへんよな?でもやっぱり今でも勉強はめんどくさいん?どうなんやろ?
  B:割り切ってるから
  塾長:割り切る?どういうこと?
  B:必要最低限のことはそれなりにするっていうふうに考えるようになった
  塾長:っていうことは、それはやっぱり自分の進路が決まってきたからみたいなこと?やから、これは必要これは必要じゃないみたいなことがわかってきたってこと?
  B:まぁそんな感じ…かな。でも明確な目標が決まらへんから、何をしたらいいのか、何をしなくていいのか、どこに重点を置けばいいのかが決まらへんから、全部そこそこ均等にやらなあかんのがめんどくさい…。たぶんやらなくていいことが見つかったらそれなりにめんどくさいって言うのも減っていくんじゃないかな
  塾長:なるほど。自分はこういうこと、こういう方向に行きたいっていうのが決まってくると、これはやらんでもええ、これはやっとかなあかんっていう
  B:っていうのでやることが少なくなっていくから、めんどくさくなくなっていく
  塾長:っていうBちゃんの意見やけど、どうや?
  A:うーん、そうかもしんないっす
  B:方向性がきまらんっていうのが1番やっかいかもしれない
BさんもかつてはA君のように「めんどくさい」が口癖の生徒でした。
しかし、現在は「めんどくさい」という言葉は出てこなくなりました。
この違いはいったい何なのでしょうか。
A君の語りから、私は「今の自分を受け入れないといけないのはわかっているけど、それをする覚悟がどうも持てない…」という感じを受けました。
そこには、今までA君が生活してきた中でのいろいろな経験が複雑に絡んでいると思います。
そして、Bさんもかつてはそのような気持ちを持っていたのかもしれません。
私自身もそのような葛藤を抱いたことはあります。
今後も抱くことがきっとあると思います。
でも渦中にいるとなかなかそれを言葉にしたり、行動に移したりできませんでした。
それは、自分の葛藤を言葉にする語彙や語る力がなかった、あるいは自分の状態を客観的に見ることができなかった、その経験を与えてくれる他者に出会えなかったからかもしえません。
Bさんの語りはA君にとって、こういった経験を与えるものになったのではないでしょうか。
私は個人的に臨床心理士を目指していますが、自分にできることはこうした対話をすることだけだなぁと改めて思いました。
そして、そのためにも自分の視野をもっともっと広げなくてはいけないと思いました。