日吉の森に行ってきました!
毎年恒例の、府民の森ひよしでおいしいご飯を作って食べて遊ぼう!という体験学習に行ってきました!
参加者は、スタッフ6名+知誠館生徒8名の総勢14名。
この日はあいにくの雨模様でしたが、小雨決行、亀岡駅に集合して、近くのスーパーで買い出しを済ませ、車を走らせること約30分。
田中の乗った車では、人名しりとりをして盛り上がっている間に到着しました。
今回作ろうとみんなで考えたメニューは
・豚汁
・焼肉
・焼きおにぎり
の3種類。買い込んだ材料の下ごしらえをざくざく進めていきます。
ここでみんな、自分にできることを探して協力的に動いてくれることにびっくりそして感動しました。私はこういう時になるべく仕事をしないで済むようにうまく逃げていた子どもだったので(反省)、素直に「これも切る?」と訊いてきてくれたり、「○○やって~」と言われたらさっと動くみんなを純粋にすごいなーと思いました。何でそんなことができるんやろう…
そんなみんなで準備した野菜、お肉たちがこちら。
わー、色とりどりのお野菜の色が目が嬉しい。
そしてとうとう、焼き始めます。
たくさん食べて、お腹がいっぱいになったあとは、小雨の静かな森に散歩に出かける人あり、百人一首で遊ぶ人あり、トランプで遊ぶ人あり…と、思い思いの時間を過ごしました。
この一日の中で、参加の形は人それぞれながらも、普段あまりしゃべっている様子を見かけたことのなかった子たちが話しをしていたのが印象的でした。
毎日同じ「知誠館」という場所では、学習や掃除といった行為や、入る部屋、使う机、といったものに基本的には変化がありません。
みんな同じ部屋で、毎日同じ机に、同じ時間割で学習や掃除を行う。その積み重ねが知誠館をみんなの「日常」の安心できる空間にしていくのでしょうが(そもそもみんなにとって、最初は知誠館も「非日常」だったはずですが)、その中でコミュニケーションを取る相手というのは限られてきます。
ところがこの日のような「非日常」の中にぽいっと放りこまれると、これまでの「日常」で築き上げてきたコミュニケーション相手だけで目の前に起こる現実に対処するのは困難なため、これまでに話したことのない相手とも話したり、共同作業をしたり…ということになるのかな、と。
この日日吉に行ったから何かが変わった、という直接的な影響はなくとも、あんなこともあったな、と思い返すような経験が一つみんなの中に蓄積されていればいいなぁと思います。
など、こういった「非日常」の中に放り込まれることの意味について、大声で歌いはしゃぐみんなの歌声を聞きながら(そして時には一緒に歌いながら)、帰りの車の中で少し考えていたのでした。
参加者は、スタッフ6名+知誠館生徒8名の総勢14名。
この日はあいにくの雨模様でしたが、小雨決行、亀岡駅に集合して、近くのスーパーで買い出しを済ませ、車を走らせること約30分。
田中の乗った車では、人名しりとりをして盛り上がっている間に到着しました。
今回作ろうとみんなで考えたメニューは
・豚汁
・焼肉
・焼きおにぎり
の3種類。買い込んだ材料の下ごしらえをざくざく進めていきます。
ここでみんな、自分にできることを探して協力的に動いてくれることにびっくりそして感動しました。私はこういう時になるべく仕事をしないで済むようにうまく逃げていた子どもだったので(反省)、素直に「これも切る?」と訊いてきてくれたり、「○○やって~」と言われたらさっと動くみんなを純粋にすごいなーと思いました。何でそんなことができるんやろう…
そんなみんなで準備した野菜、お肉たちがこちら。
わー、色とりどりのお野菜の色が目が嬉しい。
そしてとうとう、焼き始めます。
たくさん食べて、お腹がいっぱいになったあとは、小雨の静かな森に散歩に出かける人あり、百人一首で遊ぶ人あり、トランプで遊ぶ人あり…と、思い思いの時間を過ごしました。
この一日の中で、参加の形は人それぞれながらも、普段あまりしゃべっている様子を見かけたことのなかった子たちが話しをしていたのが印象的でした。
毎日同じ「知誠館」という場所では、学習や掃除といった行為や、入る部屋、使う机、といったものに基本的には変化がありません。
みんな同じ部屋で、毎日同じ机に、同じ時間割で学習や掃除を行う。その積み重ねが知誠館をみんなの「日常」の安心できる空間にしていくのでしょうが(そもそもみんなにとって、最初は知誠館も「非日常」だったはずですが)、その中でコミュニケーションを取る相手というのは限られてきます。
ところがこの日のような「非日常」の中にぽいっと放りこまれると、これまでの「日常」で築き上げてきたコミュニケーション相手だけで目の前に起こる現実に対処するのは困難なため、これまでに話したことのない相手とも話したり、共同作業をしたり…ということになるのかな、と。
この日日吉に行ったから何かが変わった、という直接的な影響はなくとも、あんなこともあったな、と思い返すような経験が一つみんなの中に蓄積されていればいいなぁと思います。
など、こういった「非日常」の中に放り込まれることの意味について、大声で歌いはしゃぐみんなの歌声を聞きながら(そして時には一緒に歌いながら)、帰りの車の中で少し考えていたのでした。