自分で問いを立てよう!
知誠館では、毎週金曜日の19:00から、「思考」のワークショップという講座を開いています。
現在、知誠館に通う高校3年生が一人、知誠館を卒業した大学1回生が二人、現役の高校生が一人、スタッフ(私)、ファシリテーター(桜井先生)というメンバーが参加しています。
今まで色々なテーマについてみんなで考え、対話や議論を重ねてきましたが、それらの問いはいつも桜井先生が立てたものでした。
私も何度かファシリテーターの側で、「これについてみんなで考えてみたいな!」と思うことを設定し、ファシリテーターの役をしてみましたが、これがなかなか難しいんです。
さて、今回はそうやって桜井先生が日常的にしている
問いを立てる
ということの面白さを、みんなに知ってもらおうという内容でした。
具体的には、
①新聞記事を読んで
②自分がみんなと一緒に考えてみたい記事を切り抜いて
③みんなに問いを示す
という作業をしました。
まずはじっくり新聞記事に目を通すということで、読み始めると結構時間がかかる!
私なんて、全部に目を通すのに1時間近く経ってたと思います。
おそらく今まで一度も、ここまで細かく新聞を読み込んだ経験はなかったと思います。
各社の比較はしていないので、詳しくはわかりませんが、それぞれにこだわりの記事があって、ものすごい情報量なんだと驚きました。
そこから自分がみんなと考えてみたい記事を選ぶのも大変なぐらい、世間では毎日いろんなことが起こっていて、自分の知らないことひかないんだなぁと反省しました。
そして、各々が記事を切り抜いて、それを基にみんなに問いを投げかける場面。
ある生徒は、川崎市で起きた少年犯罪について、「この加害者の法廷での発言をどう思うか?」という問いを投げかけました。
またある生徒は、京北地域に移住した人の声の中から、「学校は歩くことができる距離にあったほうがいいとあるが、本当にそうか?」という問いを投げかけました。
またある生徒は、中国の一人っ子政策が二人っ子まで認められるようになったことについて、「なぜ3人、4人ではなく2人なのか?」という問いを投げかけました。
それについて、桜井先生はまず問いを立てた人の意見を聞きました。
─(その問いを立てる)あなたはどう考えるの?
これが今回の講義で、私が一番面白いと思ったというか、はっと気づかされたことでした。
問いを立てるということは、ただ単に疑問を持つということではないんです。
材料となる主張(今回の場合は新聞記事)があって、そこにはどんな論理や裏付けがあるのかを整理し、主張している人が何を言いたいのかを読み取る。
その上で、自分も同じように論理や裏付けを持って、それに対して主張を考える。
そこからしか「問い」は生まれないんだなと思いました。
今まで何度かワークショップをしてきましたが、そこまでしかりと自分の主張まで組み立ててから、取り組めていなかったと思います。
試行錯誤を繰り返しながら、楽しいと思うことをやってみたりしましたが、改めて「問いの立て方」というものを考え直す機会になりました。
生徒たちの感想も、こんな風に対話の場を作り出すような「問いの立て方」を、意識したことがなかったので新鮮だったとありました。
面白いと思うかどうかは別として、とても大事な思考のトレーニングになったのではないでしょうか?
現在、知誠館に通う高校3年生が一人、知誠館を卒業した大学1回生が二人、現役の高校生が一人、スタッフ(私)、ファシリテーター(桜井先生)というメンバーが参加しています。
今まで色々なテーマについてみんなで考え、対話や議論を重ねてきましたが、それらの問いはいつも桜井先生が立てたものでした。
私も何度かファシリテーターの側で、「これについてみんなで考えてみたいな!」と思うことを設定し、ファシリテーターの役をしてみましたが、これがなかなか難しいんです。
さて、今回はそうやって桜井先生が日常的にしている
問いを立てる
ということの面白さを、みんなに知ってもらおうという内容でした。
具体的には、
①新聞記事を読んで
②自分がみんなと一緒に考えてみたい記事を切り抜いて
③みんなに問いを示す
という作業をしました。
まずはじっくり新聞記事に目を通すということで、読み始めると結構時間がかかる!
私なんて、全部に目を通すのに1時間近く経ってたと思います。
おそらく今まで一度も、ここまで細かく新聞を読み込んだ経験はなかったと思います。
各社の比較はしていないので、詳しくはわかりませんが、それぞれにこだわりの記事があって、ものすごい情報量なんだと驚きました。
そこから自分がみんなと考えてみたい記事を選ぶのも大変なぐらい、世間では毎日いろんなことが起こっていて、自分の知らないことひかないんだなぁと反省しました。
そして、各々が記事を切り抜いて、それを基にみんなに問いを投げかける場面。
ある生徒は、川崎市で起きた少年犯罪について、「この加害者の法廷での発言をどう思うか?」という問いを投げかけました。
またある生徒は、京北地域に移住した人の声の中から、「学校は歩くことができる距離にあったほうがいいとあるが、本当にそうか?」という問いを投げかけました。
またある生徒は、中国の一人っ子政策が二人っ子まで認められるようになったことについて、「なぜ3人、4人ではなく2人なのか?」という問いを投げかけました。
それについて、桜井先生はまず問いを立てた人の意見を聞きました。
─(その問いを立てる)あなたはどう考えるの?
これが今回の講義で、私が一番面白いと思ったというか、はっと気づかされたことでした。
問いを立てるということは、ただ単に疑問を持つということではないんです。
材料となる主張(今回の場合は新聞記事)があって、そこにはどんな論理や裏付けがあるのかを整理し、主張している人が何を言いたいのかを読み取る。
その上で、自分も同じように論理や裏付けを持って、それに対して主張を考える。
そこからしか「問い」は生まれないんだなと思いました。
今まで何度かワークショップをしてきましたが、そこまでしかりと自分の主張まで組み立ててから、取り組めていなかったと思います。
試行錯誤を繰り返しながら、楽しいと思うことをやってみたりしましたが、改めて「問いの立て方」というものを考え直す機会になりました。
生徒たちの感想も、こんな風に対話の場を作り出すような「問いの立て方」を、意識したことがなかったので新鮮だったとありました。
面白いと思うかどうかは別として、とても大事な思考のトレーニングになったのではないでしょうか?