私は私のままでいい
知誠館では、毎月一回「森の語り場」という時間があります。
この時間は、生徒たちが自分のライフストーリーを振り返りながら
みんなの前で話すというもので
自分たちの辛かった過去を、
コトバを使って書き換えていく意味があります。
そういった意味では、セラピー的な要素を含んでいると
言えるかもしれません。
今回は、中3生のゆう子ちゃんの語り場でした。
彼女は、自分の幼稚園時代から現在に至るまでの物語を
堂々とみんなの前で話しました。
私は、私のままでいいって思えるようになりました…
これが、語り場での彼女の最後のコトバでした。
私は考えていました。
このコトバが彼女の口から出るまでに、
いったいどれほどの時間が必要だったんだろうかと…
いろんな苦しみを抱えながら、
彼女はようやくこのコトバにたどり着いたのかもしれません。
ゆう子ちゃんの小学校
それは山間部の小さな学校でした。
1学年10人、他の学年は複式学級という
本当に小さな学校だったそうです。
そんなゆう子ちゃんの小学校時代は
とても充実していたそうです。
友達も先生も
彼女は6年生の時に
生徒会長もしていました。
中学生になって
ゆう子ちゃんは街中にある大きな学校へ通うことになりました。
1クラス40名、1学年4クラスの普通サイズの中学校です。
でも小さな小学校で過ごした彼女にとっては、
それはとてつもなく巨大な学校だったのかもしれません。
頑張らないと…
他の子どもに負けないようにしないと…
ゆう子ちゃんは、中学校に入学するや否や
とても一生懸命取り組みました。
週3日で隣町の進学塾にも通い
家に帰るのは、夜の12時前になっていたそうです。
学校の宿題に加えて塾の宿題
それでも彼女は頑張りました。
その結果、1学期の成績は体育を除いて「オール5」
とても優秀なものでした。
校長先生だったおじいちゃんからも褒められ、
彼女は満足していました。
でも、そんな彼女の中の歯車が狂い始めるのは
2学期の文化祭が終わった時のことでした。
文化祭の実行委員だったゆう子ちゃんは、
それが終わった途端、
すべての糸がプツンと切れたかのような放心状態に陥ります。
頑張らないと…
そう思っていろいろ無理しながらやってきた彼女の生活が
まるで坂道を転げ落ちるかのように崩れていくのです。
無理をしていた分、
あらゆる課題が彼女を追いこみ
やがて、そのどれもが手を付けられなくなり、極度なストレス状態に陥ります。
お腹が痛い
吐き気がする
体中から脂汗が…
彼女は、教室にも入ることができなくなり
学校へ行くことさえもできなくなっていきました。
そんな彼女を、お母さんは無理矢理、車に乗せ
学校へと連れて行きました。
学校の前では、二人がかりで先生が車から彼女を引きずり出し
教室へと連れて行ったこともあったそうです。
教室にも入れない
別室にも入れない
そして、とうとう、家にも居づらくなっていき
彼女は自分の殻に閉じこもるようになっていきました。
それから2ヶ月後
ゆう子ちゃんは、知誠館の門をたたきます。
最初は玄関先で足が動かない、と言って動こうともしませんでした。
みんなのいる教室に入ることもできませんでした。
でもそれから約3ヶ月後に
彼女は語り場で、自分自身の過去を力強く語ったのです。
私は、私のままでいいんや
私にとってそれは、
ゆう子ちゃんがゆう子ちゃんとして生きようとする
一つの宣言のようにも思えました。
今まで、○○しなければ、○○もしなければ…
そう思い続けて生きてきた彼女
でもそれが、どこまで自分の意志なのか
彼女はわからなくなっていったのかもしれません。
だから
私が、私として生きてもいい
そう彼女が思えることはとても大事なことだったのです。
かつて
私は今まで地に足を着けずに生きてきました
そう話してくれた大人の方がおられました。
彼女は、30歳を前にして自分の人生を改めて歩き始める決心をしたと言います。
今までのゆう子ちゃんも
きっとそんな状態だったのかもしれません。
私は、私のままでいい
ゆう子ちゃんは、そのコトバを発した後
少したくましくなったように思います。
欠席がなくなり、遅刻がなくなりました。
少々体調が悪くても
不安定になることがなくなっていきました。
彼女の中で、何かが確実に変わっていったのでしょう。
この時間は、生徒たちが自分のライフストーリーを振り返りながら
みんなの前で話すというもので
自分たちの辛かった過去を、
コトバを使って書き換えていく意味があります。
そういった意味では、セラピー的な要素を含んでいると
言えるかもしれません。
今回は、中3生のゆう子ちゃんの語り場でした。
彼女は、自分の幼稚園時代から現在に至るまでの物語を
堂々とみんなの前で話しました。
私は、私のままでいいって思えるようになりました…
これが、語り場での彼女の最後のコトバでした。
私は考えていました。
このコトバが彼女の口から出るまでに、
いったいどれほどの時間が必要だったんだろうかと…
いろんな苦しみを抱えながら、
彼女はようやくこのコトバにたどり着いたのかもしれません。
ゆう子ちゃんの小学校
それは山間部の小さな学校でした。
1学年10人、他の学年は複式学級という
本当に小さな学校だったそうです。
そんなゆう子ちゃんの小学校時代は
とても充実していたそうです。
友達も先生も
彼女は6年生の時に
生徒会長もしていました。
中学生になって
ゆう子ちゃんは街中にある大きな学校へ通うことになりました。
1クラス40名、1学年4クラスの普通サイズの中学校です。
でも小さな小学校で過ごした彼女にとっては、
それはとてつもなく巨大な学校だったのかもしれません。
頑張らないと…
他の子どもに負けないようにしないと…
ゆう子ちゃんは、中学校に入学するや否や
とても一生懸命取り組みました。
週3日で隣町の進学塾にも通い
家に帰るのは、夜の12時前になっていたそうです。
学校の宿題に加えて塾の宿題
それでも彼女は頑張りました。
その結果、1学期の成績は体育を除いて「オール5」
とても優秀なものでした。
校長先生だったおじいちゃんからも褒められ、
彼女は満足していました。
でも、そんな彼女の中の歯車が狂い始めるのは
2学期の文化祭が終わった時のことでした。
文化祭の実行委員だったゆう子ちゃんは、
それが終わった途端、
すべての糸がプツンと切れたかのような放心状態に陥ります。
頑張らないと…
そう思っていろいろ無理しながらやってきた彼女の生活が
まるで坂道を転げ落ちるかのように崩れていくのです。
無理をしていた分、
あらゆる課題が彼女を追いこみ
やがて、そのどれもが手を付けられなくなり、極度なストレス状態に陥ります。
お腹が痛い
吐き気がする
体中から脂汗が…
彼女は、教室にも入ることができなくなり
学校へ行くことさえもできなくなっていきました。
そんな彼女を、お母さんは無理矢理、車に乗せ
学校へと連れて行きました。
学校の前では、二人がかりで先生が車から彼女を引きずり出し
教室へと連れて行ったこともあったそうです。
教室にも入れない
別室にも入れない
そして、とうとう、家にも居づらくなっていき
彼女は自分の殻に閉じこもるようになっていきました。
それから2ヶ月後
ゆう子ちゃんは、知誠館の門をたたきます。
最初は玄関先で足が動かない、と言って動こうともしませんでした。
みんなのいる教室に入ることもできませんでした。
でもそれから約3ヶ月後に
彼女は語り場で、自分自身の過去を力強く語ったのです。
私は、私のままでいいんや
私にとってそれは、
ゆう子ちゃんがゆう子ちゃんとして生きようとする
一つの宣言のようにも思えました。
今まで、○○しなければ、○○もしなければ…
そう思い続けて生きてきた彼女
でもそれが、どこまで自分の意志なのか
彼女はわからなくなっていったのかもしれません。
だから
私が、私として生きてもいい
そう彼女が思えることはとても大事なことだったのです。
かつて
私は今まで地に足を着けずに生きてきました
そう話してくれた大人の方がおられました。
彼女は、30歳を前にして自分の人生を改めて歩き始める決心をしたと言います。
今までのゆう子ちゃんも
きっとそんな状態だったのかもしれません。
私は、私のままでいい
ゆう子ちゃんは、そのコトバを発した後
少したくましくなったように思います。
欠席がなくなり、遅刻がなくなりました。
少々体調が悪くても
不安定になることがなくなっていきました。
彼女の中で、何かが確実に変わっていったのでしょう。