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日誌

数学的な頭を使ってみよう!

知誠館では、毎週金曜日に「思考」のワークショップという講座を開いています。
参加者がひとつのテーマで自由に議論し合うことに重点を置いた授業形式になっています。
これまで、「芸術」、「民主主義」、「文学」、「民俗学」、「家族」・・・
いわゆる人文学の領域で、いろいろなテーマについて議論し合ってきました。


しかし、今回は人文学の領域を超えて「数学」の領域に足を踏み入れました!
何を隠そう、私は数学が大の苦手です。
高校もばりばりの文型で、一番好きだったのが「世界史」と「倫理」でしたし。
テストでも大きな声で言える点数なんてとったことはありません。
でも、数学的な美しさというか、数学者の話とか、自然界のものと数学とのつながりとか
そういうものはめちゃくちゃ好きなんです。
今回は、学校のように数式を使って計算したりするのではなく
みんなで数学的なものの見方や考え方に触れました。
例えばこの問題…
20151219_162003.JPG
もっとも少ない回数でひとつの環にするには、どうすればいいか?
あるいはこの問題…
20151219_162028.JPG
3本の長さの違う煙突の、上同士、下同士を結んだときにできるそれぞれの交点は、一直線上にならぶことを証明せよ。
どうです?
みなさんできましたか?
この場にいたみんなも、普段とは少し違った頭の使い方をしながら、ああでもないこうでもないと考えていました。

この後は、今なおいろんな学者によって議論されている「真正のパラドクス」にも触れました。
「真正のパラドクス」とは、論理的にその命題の真偽を確定できない問題のことを言います。
例えば、「私はうそつきだ」と言う人が正直かうそつきかの判断は論理的にはできない。とか
もちろん、答えが出ないから「真正のパラドクス」なのですが…
やっぱり答えが出ないとモヤモヤします。
では、なぜこのような問題を考える必要があるのでしょうか?
それはおそらく
─どんな論理にも、必ず真偽を確定できない事柄はある
ということを考えるため、そしてその問題を考えることで、論理をさらに追及するためだと思いました。
私たちが生活している現実もまた、真偽を確定できないことで満ち溢れています。
そういった局面に出会った時に、自分はどう考え、どういう論理で行動するのか?
「真正のパラドクス」は、そう私に問いかけているような気もしました。
数学と人文学って、学校では「教科」という枠組みで切り離されていますが、つながっているものなんだと思います。
今後は、こうした「数学」はもとより、「自然科学」の領域のワークショップもおこなっていけたら面白そうですね!
ちょっと自分でもネタを考えてみます!