ずっと聞いてみたかったこと。
知誠館に京都学園大学の生徒さんがやってきました。
いつも「ラウンドテーブル」という活動の時にお世話になっている先生のゼミ生や、教職過程を履修している生徒など、総勢18名の団体さんでした。
塾長による知誠館の紹介や、フリースクールってどんなところ?という話があり
学生さんたちも熱心に聞いておられました。
その後、知誠館に通う生徒2人に私を交えた3人と、学園大の生徒とで質疑応答をしました。
その生徒というのが、知誠館に来て2年半になる高校3年のAちゃんと、4ヶ月になる中学2年のBちゃんでした。
Bちゃんはここの生活にようやく慣れてきた状態で、まだ不安は大きく、「不登校」である自分についていろいろと悩んでいるようでした。
そんなBちゃんが、学園大の生徒さんたちに向けてこんな質問をしたんです。
─私はいろいろあって学校には行きたいけど、学校に行けなくなった。なんでみんなは学校に行き続けているの?
これは私がここに来てある生徒から投げかけられた質問と全く同じ内容でした。
「なんで学校に行ってないの?」
という質問をするならば
「なんで学校に行ってるの?」
という質問に答えなければならないと思います。
そうじゃないと不公平というか、「なんで学校に行ってないの?」という質問がとても相手を傷つけるものになってしまうと思います。
学園大の生徒たちは、今までとは違う面持で考え始めました。
そして、何人かの生徒がこのBちゃんの質問に答えてくれました。
─友達がいるから
─勉強が楽しくて、もっとこの分野の勉強がしたいと思ったから
─学校に行くのが当たり前だから
─親の目が気になるから
いろんな答えが返ってきました。
それに対してBちゃんはこう言いました。
─やっぱり学校言ってないのってあかんことなんかな?「不登校」ってネガティブなイメージなんかな?
学園大の生徒たちの返答を聞いて、Bちゃんの中でまた問いが生まれ、それが投げかけられます。
すると、ある生徒がこんなことを言いました。
─学校に「行く」か「行かない」かで人間性は判断されないと思う。ここに来るまで「不登校」の子って暗かったり、何も気力がなかったりっていうイメージで、気を遣わないといけないかなって思ってたけど、AさんやBさんはそれとは違う。だから、「不登校」はネガティブなイメージだけではないんじゃないかな。
それに対してAちゃんがさらにこんなことを言いました。
─気を遣うって、余計なお世話って感じがする。こっちだって社会が持ってる「不登校」のイメージを演じたほうがいいのかなって気を遣ってる部分がある。ていうか、「不登校」って社会の側が作り出したものなんじゃないの?私は「不登校」になってよかったと今思ってるし、誰かに気を遣ってもらわなくてもいい。
これにはみんな黙るしかありませんでした。
「不登校」だからと言って、腫物に触るような扱いを受けるのは嫌だ!!というAちゃんの主張だったんだと思います。
私は改めて、AちゃんやBちゃんの抱える「不登校」の現実というものを目の当たりにしました。
「ふつう」に学校に通っていた私では、到底抱くことのなかった問いや葛藤が、AちゃんやBちゃんにはあるんだと思います。
こういう現実をひとつひとつ丁寧に汲みとって自分で考えることが、みんなにとって大切なことなのではないでしょうか。
でもこういう議論ができるようになるまでに、AちゃんもBちゃんも私の知りえない苦労があったこともまた事実だと思います。
だって、Bちゃんがここに初めて来たときなんて、玄関を上がることすらできなかったんですから。
それが今や、学園大の学生たち相手に堂々と自分の疑問をぶつけられるまでになりました。
AちゃんやBちゃんが、今後こうした問いに対する答えを自分の中でどうやって作り出していくのか、そのためにどう変わっていくのか…
私はその証人になりながら、自分もそれらの問いに対する答えを作っていきたいと思います。
いつも「ラウンドテーブル」という活動の時にお世話になっている先生のゼミ生や、教職過程を履修している生徒など、総勢18名の団体さんでした。
塾長による知誠館の紹介や、フリースクールってどんなところ?という話があり
学生さんたちも熱心に聞いておられました。
その後、知誠館に通う生徒2人に私を交えた3人と、学園大の生徒とで質疑応答をしました。
その生徒というのが、知誠館に来て2年半になる高校3年のAちゃんと、4ヶ月になる中学2年のBちゃんでした。
Bちゃんはここの生活にようやく慣れてきた状態で、まだ不安は大きく、「不登校」である自分についていろいろと悩んでいるようでした。
そんなBちゃんが、学園大の生徒さんたちに向けてこんな質問をしたんです。
─私はいろいろあって学校には行きたいけど、学校に行けなくなった。なんでみんなは学校に行き続けているの?
これは私がここに来てある生徒から投げかけられた質問と全く同じ内容でした。
「なんで学校に行ってないの?」
という質問をするならば
「なんで学校に行ってるの?」
という質問に答えなければならないと思います。
そうじゃないと不公平というか、「なんで学校に行ってないの?」という質問がとても相手を傷つけるものになってしまうと思います。
学園大の生徒たちは、今までとは違う面持で考え始めました。
そして、何人かの生徒がこのBちゃんの質問に答えてくれました。
─友達がいるから
─勉強が楽しくて、もっとこの分野の勉強がしたいと思ったから
─学校に行くのが当たり前だから
─親の目が気になるから
いろんな答えが返ってきました。
それに対してBちゃんはこう言いました。
─やっぱり学校言ってないのってあかんことなんかな?「不登校」ってネガティブなイメージなんかな?
学園大の生徒たちの返答を聞いて、Bちゃんの中でまた問いが生まれ、それが投げかけられます。
すると、ある生徒がこんなことを言いました。
─学校に「行く」か「行かない」かで人間性は判断されないと思う。ここに来るまで「不登校」の子って暗かったり、何も気力がなかったりっていうイメージで、気を遣わないといけないかなって思ってたけど、AさんやBさんはそれとは違う。だから、「不登校」はネガティブなイメージだけではないんじゃないかな。
それに対してAちゃんがさらにこんなことを言いました。
─気を遣うって、余計なお世話って感じがする。こっちだって社会が持ってる「不登校」のイメージを演じたほうがいいのかなって気を遣ってる部分がある。ていうか、「不登校」って社会の側が作り出したものなんじゃないの?私は「不登校」になってよかったと今思ってるし、誰かに気を遣ってもらわなくてもいい。
これにはみんな黙るしかありませんでした。
「不登校」だからと言って、腫物に触るような扱いを受けるのは嫌だ!!というAちゃんの主張だったんだと思います。
私は改めて、AちゃんやBちゃんの抱える「不登校」の現実というものを目の当たりにしました。
「ふつう」に学校に通っていた私では、到底抱くことのなかった問いや葛藤が、AちゃんやBちゃんにはあるんだと思います。
こういう現実をひとつひとつ丁寧に汲みとって自分で考えることが、みんなにとって大切なことなのではないでしょうか。
でもこういう議論ができるようになるまでに、AちゃんもBちゃんも私の知りえない苦労があったこともまた事実だと思います。
だって、Bちゃんがここに初めて来たときなんて、玄関を上がることすらできなかったんですから。
それが今や、学園大の学生たち相手に堂々と自分の疑問をぶつけられるまでになりました。
AちゃんやBちゃんが、今後こうした問いに対する答えを自分の中でどうやって作り出していくのか、そのためにどう変わっていくのか…
私はその証人になりながら、自分もそれらの問いに対する答えを作っていきたいと思います。