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日誌

蛹(さなぎ)

知誠館にやってくる子どもたちは、みんな蛹のようだと思うことがあります。
青虫が蛹になり、やがて蝶になって飛び立つ時、蛹は、ほとんど時が止まったかのような期間に見えます。
しかし専門家によると、蛹の期間には、それまで青虫の体を作っていた細胞が死んで行き、新たに蝶の体を作るための細胞が新しく生まれていくといった営みが繰り返されているというのです。
新たな命を生み出すために、それまでの命が死んでいく。
それはまさに「再生のための死」に他ならないのです。


知誠館にやってくる子どもたちは、みんな多かれ少なかれ、一度はどうしようもない閉塞的な状況におかれ、そこで絶望感を味わい、自尊心を失い、そして自死を考えています。
自死は、新しい命を生みません。
死ぬことによって、生まれるものは何もないのです。
でも彼らは、自死を考えていたのです。
他に、考える手立てがなかったから、
そんな彼らの寄り添う人たちがいなかったから・・・
でも絶望感は新しい命を生み出すための手立てになります。
閉塞的な状況は、自らが生まれ変わる大きな変容を起こすきっかけを作り出します。
私たちは、それを機会開発学習 opportunity development learning と呼んでいます。
一見時間が止まったかのような蛹は、実は大きなうねりの中におかれた状態です。
今までの命が息絶え、新しい命へと運ばれていくかのように、
知誠館子どもたちも新しい自分自身を生み出すために変わり続けているのです。
そして、それはまるであざやかな色々に輝く蛹のように、私の眼には映るのです。
2013年10月27日 家島プロジェクト