何のために勉強すんの?
知誠館には、いろいろな進路希望の生徒がいます。
その生徒に合わせて、教材や学習内容を決めていくのですが、中には、本人が乗り気でないことに取り組んでもらうこともあります。
もちろん、それがその子の希望進路のために、あるいはその子自身の力にするために身につけてほしいことなのでやってもらわなくてはなりません。
ただ、ただでさえ大抵の生徒にとってはストレスのかかる「勉強」という行為なのに、その中でもさらに苦手なことをするというのは、嫌だろうな~と思います。(私も学生時代は、体育の時間なんて消滅してしまえ…と思っていました。)
でも、ここ知誠館にいる子は、本人がそんなに得意じゃないことも、真面目に頑張ってくれます。
そして、そういったことに取り組んでいる子達から時々出てくる質問が、「これ、何のためにやってんの?」という質問。
この質問は、知誠館だけでなく、アウラの生徒からもよく出てきます。私自身も、中学生の頃などは同じような質問をしょっちゅう自問していました。「こんな数式、大人になっても絶対使わへんし!」「私、日本から出えへんから日本語だけで生きていけるし!」「何でこんな勉強やらなあかんの!?」とか。
もちろん、希望する進路を実現するため、ということを言ってしまえばそれまでなのですが、もっと本質的に、「何のためにこれを勉強するの?」という問いに答えることが果たして出来るのだろうか、と思っていました。
そんな中、私淑する内田樹さんのある言葉に出会い、私はその内容がとても腑に落ちたので、今はそれを使わせていただくことにしています。
その言葉とは、「今学んでいることが何のためなのか、学習者にとって何の役に立つのかは、教師が判断できるものではなく、数十年後の学習者が自分自身で判断するものだ」といった言葉でした。
数年前に読んだ本で出会った言葉なので、元々の言葉とニュアンスの違いがあるかと思いますが、そういった趣旨のものでした。それを読んだ時の私は、「確かに…!!!」と衝撃を受けました。「学習が何のためになるのかという問いに対して、教師は答えを用意していないといけない」という自分の中に存在していた前提が、そもそも違うのでは!?と考えるようになったのです。(もちろん、この点に関しては意見の分かれるところだと思いますが…)
…ネタ元を公表してしまったので、これから、この言葉を私が発した時には生徒から「先生、内田先生の言葉ぱくってるな!?」とツッコミが入りそうで怖いですが、「はい、ぱくってます」と答えます。
知誠館で学んだ生徒達が、十数年、あるいは数十年後に、「ああ、このために私はあの勉強をしてたんだなあ」と何となくでも腑に落ちる瞬間が来るように(まあ来なかったとしても)、地道に皆と学習に取り組んでいきたいと思います。
その生徒に合わせて、教材や学習内容を決めていくのですが、中には、本人が乗り気でないことに取り組んでもらうこともあります。
もちろん、それがその子の希望進路のために、あるいはその子自身の力にするために身につけてほしいことなのでやってもらわなくてはなりません。
ただ、ただでさえ大抵の生徒にとってはストレスのかかる「勉強」という行為なのに、その中でもさらに苦手なことをするというのは、嫌だろうな~と思います。(私も学生時代は、体育の時間なんて消滅してしまえ…と思っていました。)
でも、ここ知誠館にいる子は、本人がそんなに得意じゃないことも、真面目に頑張ってくれます。
そして、そういったことに取り組んでいる子達から時々出てくる質問が、「これ、何のためにやってんの?」という質問。
この質問は、知誠館だけでなく、アウラの生徒からもよく出てきます。私自身も、中学生の頃などは同じような質問をしょっちゅう自問していました。「こんな数式、大人になっても絶対使わへんし!」「私、日本から出えへんから日本語だけで生きていけるし!」「何でこんな勉強やらなあかんの!?」とか。
もちろん、希望する進路を実現するため、ということを言ってしまえばそれまでなのですが、もっと本質的に、「何のためにこれを勉強するの?」という問いに答えることが果たして出来るのだろうか、と思っていました。
そんな中、私淑する内田樹さんのある言葉に出会い、私はその内容がとても腑に落ちたので、今はそれを使わせていただくことにしています。
その言葉とは、「今学んでいることが何のためなのか、学習者にとって何の役に立つのかは、教師が判断できるものではなく、数十年後の学習者が自分自身で判断するものだ」といった言葉でした。
数年前に読んだ本で出会った言葉なので、元々の言葉とニュアンスの違いがあるかと思いますが、そういった趣旨のものでした。それを読んだ時の私は、「確かに…!!!」と衝撃を受けました。「学習が何のためになるのかという問いに対して、教師は答えを用意していないといけない」という自分の中に存在していた前提が、そもそも違うのでは!?と考えるようになったのです。(もちろん、この点に関しては意見の分かれるところだと思いますが…)
…ネタ元を公表してしまったので、これから、この言葉を私が発した時には生徒から「先生、内田先生の言葉ぱくってるな!?」とツッコミが入りそうで怖いですが、「はい、ぱくってます」と答えます。
知誠館で学んだ生徒達が、十数年、あるいは数十年後に、「ああ、このために私はあの勉強をしてたんだなあ」と何となくでも腑に落ちる瞬間が来るように(まあ来なかったとしても)、地道に皆と学習に取り組んでいきたいと思います。