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日誌

不登校、ひきこもり。。親失格の烙印を押された気がしました

娘が登校拒否をし
三年間部屋に引きこもるようになるとは、
本当に思いもよりませんでした。
思い上がった言い方になりましたが、
それ位私の中で無関係なものとして捉えていたのでしょう。


幼少の頃から少し恥ずかしがり屋でしたが、
友達と遊ぶのがなにより好きな朗らかな娘でした。
中二の秋頃より、
登校前にお腹や頭が痛いと訴え
学校へ行くのが嫌がるようになりました。
最初のうちは友人間で些細なトラブルでも有るのだろう。
しばらくすれば解決するだろうと軽い気持ちでおりましたが
状況は益々悪くなる一方でした。
保健室や別室登校にもほとんど行けなくなる頃から、
このまま学校にも行けず、
外出もできず、家に閉じこもった生活に
なるとしたら…と悪い方にばかり考え
娘の将来を思うと絶望的になりました。
「なんで学校に行けへんの?!」
と叱って責めたり
「頼むし、行って。お願いやし。」
と泣きながら懇願した事も有りました。
朝は頭から布団をすっぽりかぶって行くまいとする姿を見て
「さぁ起きよ、制服着替えよ、靴下履くか?」
等とベッドから無理やり腕を取り、半身を起こさせ、
放心したような娘をなんとか立たせようともしました。
現在思えば本当に可哀想な事をしました。
一番辛かったのは本人でしょうが、
当時の私も必死だったのです。
「何がきっかけでこんなふうになったんだろう?」
「私の育て方が甘かったんだろうか?」
そんな事ばかりくよくよ繰り返し考えクタクタでした。
自分は親として失格だと烙印を押されたような気がしました。

主人とも、その都度一緒に悩んだり考えたりしましたが
解決の糸口はつかめないままでした。
良いと評判を聞くと精神内科にもすぐ行きました。
六・七院位は通いました。
学校へ行くと吐き気と腹痛が止まらず
「人が私の悪口を言ってる。」と言い、
私立高校に入学して2・3カ月で中退。
次年には定時制高校に入学して2・3カ月で中退。
その次の年には誰とも接触せず、
一日の大半を部屋に閉じこもって三年が過ぎていきました。
そんな中インターネットで引きこもり支援情報の支援サイトから、
知誠館のホームページを見つけました。
現状を少しでも変えることができないだろうかとの思いで
北村塾長にお会いしお世話になろうと決めました。
最初娘は、新しい環境に飛び込むことに対してとても不安そうでした。
又以前の学校の時のようになるんじゃないかと心配したからです。
けれども知誠館で、先生方や友達と過ごす中で
硬かった表情が少しずつ柔らかくなって行くのは
雪解けを見る思いでした。
登校できなかった為
ほとんどわからなかった中学校からの学習から始めたようです。
通信制高校課程を卒業するまで
先生方のサポートを受けよく頑張りました。
学習面だけではなく
いろいろな場面で親身に関わって下さり
本当にお世話になりました。
入塾当初、塾長が
「(引きこもっていた)三年間が有って良かったと思えるようにしましょう。」
と言っておられましたが、
私は回り道無く普通に
学校生活を送れる子供さんが本当にうらやましく、
こんなに辛い経験をしないに越したことは無いと思っていました。
けれども現在は、
知誠館で過ごせた三年間が
娘に有って良かったと心からそう思えます。

今春には、
歯科衛生士を目指すべく元気に専門学校に通っています。
楽しく充実した学校生活を送っている様子、
なにより嬉しく思います。
知誠館に出逢えていなかったら
今のような日々はなかっただろうと感謝しております。
これからも彼女の中で、
知誠館の存在はとても大きなもののようです。