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日誌

不登校の子どもたちって・・・

先週、立命館大学大学院のM2の学生の方が来られ、生徒たちとセッションをおこなうという場面がありました。それがとても印象深かったので、少しみなさんにご紹介したいと思います。
彼の疑問はこうでした。不登校やひきこもりの若者たちは、なかなか学習に向かわないと聞いている。でも、知誠館の生徒たちはとてもよく学んでいる。どうしてそんなことが生じているのかを知りたいというものでした。
若者たちをいかに学びの世界に導いていくのか?


それは、彼らの学習観をいかに揺るがし、再構築していくかというテーマでもありました。コトバを変えれば、教科学習に代表される受動的な学習観を生活全般に広げ、より能動的な学習観へと転換していくことかもしれません。
そんなことを思いめぐらせながらも、私はこの議論にぜひ当事者である生徒たちを参加させたいと思いました。ちょうど休憩時間があったので、高校生4名がセッションの場にやって来ました。それで彼らは、何やら語り始めるのです。
「勉強」と「学習」はどう違うのか?
学校へ通っている人は、どうしてみんな何も考えずに同じことを学ぶのか?
自分の人生の中に「学習」をどう位置付けるのか?
そんな問題提起が生徒たちの方から出されていったのです。
これは驚きでした。
この学生さんにとっては、不登校やひきこもりの若者たちは本来学習に向かわないものであるはずだったわけです。だからそこには問題を抱えた若者たちがいて、それを解決する方法を大学院で学んできたのです。しかし、今回その前提が揺さぶられたわけです。これらの若者のイメージが崩れていったのです。
学習しない若者たちから、本質的な問いが投げかけれら、しかもそれにうまく答えられない自分がいるという現実が、彼自信を揺さぶるのです。
不登校やひきこもりの若者たちはこうであるという社会的なイメージがあります。でも私たちは、それを一旦疑ってかかります。その枠組みをいったん見直すとそこに新たな可能性が広がって行くように思うのです。