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日誌

第1回東九条フィールドワーク

京都駅の南側、鴨川よりも西側にある「東九条」という地域をご存じでしょうか?

この地域には、在日韓国・朝鮮人の方だけでなく被差別部落の出身の方や障がい者の方、最近では東南アジアから日本に移り住んできた方などが様々な対話や葛藤を繰り返しながらともに暮らしている地域です。

 

 

ひょんなことからこの東九条という地域とつながりを持つことができたため、生徒と一緒にこの地域のことを学びたいと思うようになりました。

そのことを通じて、生徒たちには学びの森よりも大きな「社会」に触れ、多様な他者と対話し、自分の枠組みを作り変えていくことの楽しさと難しさを経験してほしいと思ったからです。

 

 

こうした思いに応えてくださったのが、京都市地域・多文化交流ネットワークサロンの宇山さんと、東九条まちづくりセンター「まめもやし」の村木さんでした。

お二人とも、今回のフィールドワークに向けてどんなことを伝えるか一緒に考えてくださいました。

東九条の中でも、今回焦点を当てたのは「40番地」。

当時住むところのなかった人たちが集まり、高瀬川と鴨川の間にバラック小屋を建てて住んでいた地域です。

 

 

今はもうすっかり小屋もなくなり、春には桜がきれいに見える土手となったところに、一言では語りつくせない歴史があります。

その歴史と現在を実際に見てきました。

 

 

宇山さんが当時の「40番地」の暮らしをひとつひとつ丁寧に説明してくれました。

当時は電話も何軒かで共有していたこと。火事のときにすぐに燃え広がってしまったこと。水道設備はなく地下水を生活に使っていたこと。音楽をしたり踊ったりして自然と人が集まっていたこと。

出てくる写真や、言葉の生々しさに生徒たちも「えぇ~!あぶな!」と驚いていました。

 

 

 

30分ほど説明を聞いた後、実際にそこに足を運ぶことに。

その道中で、宇山さんは道行く人と言葉を交わしていました。

 

「あら!何してんの?」

「こんにちは~今フィールドワーク中」

「またね~」

 

こんな会話が何気なく繰り返されます。

その流れで京都コリアン生活センター「エルファ」の方にもどんな活動をしているのかうかがうことができました。

東九条の地域のつながりの強さが垣間見られた瞬間だったように思います。

 

 

一行は「40番地」に到着。

写真で見ていたところは今はこんな感じになっていました。

 

 

知らないままでいると、ここにそんな歴史があったなんて、おそらくずーっと知らないままだったと思います。

ここで説明があったような生活をしていた人が実際いたという事実を知ってからこの景色を見ると、感じ方も違ってきました。

 

 

次に訪れたのは、「40番地」のすぐ隣。危険な生活から何とか脱するために、住人たちが行政に掛け合いできた「東松ノ木市営住宅」です。

まめもやしの村木さんは、ここで住居者の方々のお手伝いをしています。

 

 

村木さんは私たちを在日1世の方の部屋に案内してくれました。

その方は御年92歳。今はベッドでの生活が多くなってしまいましたが、若いころはバリバリ働く姉御肌のオモニ(お母さん)です。

村木さんがオモニに質問すると、自分のことを語ってくれました。

 

 

いつ日本に来たの?最初はどこで働いたの?アボジ(お父さん)と出会ったのはいつ?

貴重なライフストーリーを聞かせてくれて、写真で切り取られた当時の生活がふっと頭に浮かびました。

そこで生活をしていた人の声、今の姿とのふれあいは本当に生々しかったです。

 

 

ここでも30分ぐらい話をきいて、最後に振り返りをしました。

生徒たちの感想には

 

─知ってることも知らないこともたくさんあった。結構自分的には身近に感じた。

─東九条の人たちのつながりってすごい強いと思った。

─親からは「迷惑かけるな」って言われてるけど、なんか「迷惑かけていいんや」って思った。

─1世の人の話がすごかった。声とかなんかそういうのから伝わる感じが。

 

などがありました。

 

 

まだ言語化できないところも含めて、フィールドワークをして「何か」を感じ取っていたように思います。

こうした、学びの森を出て現場で学ぶ経験を少しづつ増やしていけたらいいなと思います。

G協力してくださった宇山さん、村木さん、オモニ、本当にありがとうございました。

第2回はどうなるのか、楽しみです!