山菜採りで考えた、子どもたちの世界の見え方
幸せなゴールデンウィークが終わりを告げ、やってきました月曜日。
約1週間ぶりの登校となった学びの森フリースクール・ハイスクールの面々。
この日は課外活動としてみんなで山へ山菜採りに。
小牧先生の事前調査により判明した山菜の生えていそうな場所まで、徒歩で約40分。
汗ばむほどの陽気の中、みんなで歩いていきました。
普段、基本的には「学習」という状況の中皆に関わっているので、それを取っ払った状況で皆と関わることはいつも新鮮な気づきと驚きを与えてくれます。
この日興味深かったのは、ある生徒がこぼした「誰かと楽しく話してる時、いつもほかの人に邪魔される」という言葉でした。
たとえばどんな時にそう思ったのか、という問いかけにその子が答えた具体的な状況を私も実際に見ていたのですが、私自身は誰かがその子を「邪魔してる」とは思いませんでした。誰かと話している時に、誰かが入ってくる。そしてその誰かが抜けていって、また話をする。そんな、家庭で、学校で、社会で、よくよく見られるような光景でした。
ですが、それを「邪魔される」と捉えるところに、その子の認識の仕方の特徴を垣間見たように思ったのです。その子にとって、こんな風に世界は見えているのか、と。
「邪魔された」と思うと少なからずダメージを受けるはずですし、人間関係の中でよくある光景がそういった負の経験として受け取られ蓄積されていくというのは、なかなか苦しいことだろうと思います。
その世界の見え方、受け取り方のフレームに気づき、実際は邪魔されてはいないのだと考えられるようになるようにアプローチするのか。その負の経験の蓄積をあまり思い出さなくなるほど、それを越えるような「楽しかった」「うまくいった」「おもしろかった」というポジティブな経験を蓄積していけるようにアプローチするのか。それともまた別の方法で…?
そんなことを考えた山菜採りとなりました。あれ、山菜採りの話をほとんどしていない…
と、本来の目的であった「山菜採り」ですが、歩いても歩いても山菜はあまり採れず、翌日小牧先生が地元で採ってきた山菜を皆にふるまってくれたのでした!
次の課外活動は、毎年恒例日吉でのごはん作り!どんな皆の姿が見られるのか、楽しみにしています。