親の学び場と茶話会 が開催されました。
先週の日曜日、今年度第1回目の「親の学び場と茶話会」が開催されました。
今回の会場は、亀岡駅北口からすぐの「サーキュラーかめおかラボ」。
お天気も良く、保津川沿いに吹く風を感じながら、
参加者の皆様と一緒に学びの時間を共有することができました。
今回のテーマは、「理解”される”こと」について。
これまでの学び場で、学びの森の5つのキーワードについて考えてきました。
「理解」に始まり、「変容」、「共創」、「探究」、「自律」の5つ、
そしてこれらに引き続き、今回は「理解”される”こと」となりました。
まずはペアになり、それぞれに「理解されること」について話してもらう時間をもちました。
私たちスタッフも参加し、保護者の皆様のお話も伺いながら、
各自の経験をもとに考えを伝え合い、大変楽しい時間を過ごすことができました。
また、ただ楽しいだけではなく、考えさせられる意見も出てきたりするので、
「自分はどうだろうか」「では自分はどのように結論付けるのか」など頭の中を整理しながら、
また新たな視点を獲得するという体験にもなっております。
自分の考えを言葉にして相手に伝える、という作業そのものが頭の整理になるので、
その時点での自分の考えがどのようなものなのか、
「こんなふうに表現していた自分がいたな」と事後で客観的に見ることもできるなと思いました。
「理解”される”こと」について、簡単にまとめることは容易ではありませんが、
私個人の思いとしては、やっぱり「誰かに理解されたい」という欲があること、
加えてこれまでの経験から「理解されることが期待値に比例するとは限らないこと」、
それでも「自分のことを理解しようとしてくれる人がいる」ことに支えられているし、
どこかで「装ったり、繕ったりする姿を見せている自分」もいるし(相手にそのように見られたい自分がいるってことだな)、
そしてそんな部分を「見抜かれることを恐れている自分」もいるし、
「全部を理解されると制御されそうで怖いな」と思う自分もいる、
でも、幼稚に思われることをおそれずに言うと、
「どんな状況でも親は自分を理解してくれている」という安心感はある、
でもそれと同じくらい「親に心配をかけないようにしよう」と思っている、
でも、「親が理解していないというか、知らない自分の割合のほうが大きい」、
なのに「理解されている」と思っているのはなんでだろう、
親が理解していない範囲の、自分の居場所やつながりがあって、
それらすべてを理解してもらいたいとも思っていないし、
むしろ入り込まれたくないとも感じる、
これまで私の親は、特に干渉してくるタイプではなく、
勉強のことはもちろん、友達のことや部活のことなども、
ほぼ干渉してこなかった親だったからだろうか、、
このようなことを引き続き考えながら、
それではこのような思考から、どのように行動につなげていくのか、
についても問われているし、
家で、仕事で、いろんな場所で、
どうすることが一番自分らしいんだろう、と考えながら、、問答が続くわけです、はい”(-“”-)”
こんなふうに、思考がスピンしながら、
日常生活の中で、たとえ決定的な結論が出ていなくても、
その時その場面で感覚的に判断しながら行動しているのだとは思いますが、
いろんなパターンも身に付けていけたら、また違った発見もあるのかなと思っています。
いつもの思考パターン、行動パターンというものが「私らしさ」なのだとは思いますが、
また新たなパターンを模索していきたいと思います。
本当に気さくに、忌憚なくお話しできること、
そんな時間を共有させていただけることで、
この「理解」の感覚が満たされる気もしております。
次回もお気軽にご参加いただけたらと思いますので、
よろしくお願いします~!(^^)!
※学びの森は、明日5月1日(木)~5月6日(火)までお休みさせていただきます。
5月7日(水)にまた元気にお会いしましょう(^^♪