模擬試験を通して
どうも、学びの森のキノシタです。
先日久しぶりに体調を崩してしまいました。
この暑さと蓄積された疲労が爆発したのかもしれません。皆さんもお身体ご自愛ください。
さて、先週中学生と小学生どちらにも「模擬試験」を実施しました。
中学生と一緒に模試を受けていて、こういう緊張感の中問題を解くのも久しぶりやなぁ~とか、自己採点でケアレスミスを見つけてぐあぁぁ!とか、とても楽しませてもらいました。笑
また、生徒たちが真剣に取り組んでいる姿や、ゼミで一緒に数学を勉強していた子の「これできる!」という表情を見ていると、定期的にこうした試験を実施する意味というのは個々に十分見出すことができると思いました。
シンプルにできるって嬉しい。
コツコツ積み上げてきたものが実る瞬間って嬉しい。
僕は一緒に勉強しているだけですが、それだけでも何かが変わるのかもしれません。
ただ、中には本当に苦痛そうな表情で受験している子もいました。
受験中みるみるうちに顔色が悪くなってきて、答案用紙は白紙のままただただ時間が過ぎるのを待っている…、そんな印象を受けました。
他にも、問題用紙と解答用紙が別になっていることで、せっかく解いた問題の答えを写し間違えている、問題用紙のどこを読んでいたかわからなくなって何度も同じところを読んでいる子もチラホラ。
僕が驚いたのは、その子たちが普段の個別学習でしっかりできているのに、模試になった途端そうなるということでした。
これってなんなんや?と思ったので、フリースクールだけでなく放課後デイの子にも話をきいてみると、色んなことを教えてくれました。
・文字が柔らかい印象だと問題も簡単に見えてやろうと思えるけど、テストの文字って難しそうやし心折れる
・問題の文章が長いと、全部1本の「棒(線)」に見えるから頭に入ってこぉへん
・問題文が詰め詰めで書かれてると読みにくい
・問題が多すぎて、どれからやればいいか不安になる
・さっき解き終わった問題がどれやったか忘れる
・テストは時間が決まってるから、それ気になって焦ると頭動かん
・間違えたらどうしようという不安があって、選択肢を選べないし、自分の言葉で書くこともためらってしまう
文字の見え方とかその状況での感じ方って、もう理屈じゃないんでしょうね。
僕も手続きに必要な役所の文書とか、理屈抜きで「読みたくない!無理!」が先行しますし…。
でもみんなここではできてるやん?それはなんで?
という問いに対しては、これもまた驚きだったんですが、みんな「安心してできるから」という答えが返ってきたんです。
当たり前のことやけど「安心」って大事。
「不安」や「緊張」が強い中で、その人の本来の力が発揮されるわけないよなぁ…。
じゃあそんな状況で模試は何を測るもんなん?それを跳ねのける力も含めて「学力」なんか?
何をどうすることがその人にとっての「合理的配慮」で、それはどこまで/いつまでするのがいいんやろう?
模試みたいな形で測られないその人の良い部分ってあるけど、それはどうやったら表現/キャッチできるのか?
学びの森の外(社会)が、模試みたいな形でその人の力を測るとしたら(たぶんまだ多くはそうなってる)、ここで何を学ぶべきなのか?
模試で発揮できる力をつける?もっと別の形を探す?
模試を通して、今こうした問いがぐーるぐる頭の中でうごめいています。
この前の亀谷先生のブログにも出てきた「強さと弱さ」に当てはめて考えることもできるかもしれません。
※過去のブログはコチラ→『強さと弱さが同居』
いやぁ~、わからん!!
わからんけど大事な気がする!!
とりあえず考え続けます!!
では、また~