改めて”問い”って大事
どうも、学びの森のキノシタです。
亀谷先生に負けじと、僕も絶賛体調不良中ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
先日<語り場>という活動がありました。
今回は僕自身が語り手(勤めてから9年目にして初!)となり、自分のライフストーリーを振り返りました。
当日の朝まで、そのことを忘れていたため、一切準備できずのぶっつけ本番。
はたして僕に聞きたいことなどあるのだろうか?と思いつつ、質問がある人いますかー?と聞くと、ポツリポツリと手があがりました。
投げかけられた質問に応えながら、なんだかいつもの<語り場>とは違うなぁと思い始めました。
これまでの<語り場>は、僕や代表が生徒に対してインタビューをし、返ってきたことばをみんなに共有するためにかみ砕いて伝える形式を取っていました。
でも今回は、僕が僕のことば「だけ」で語っています。
だから、インタビューする側のフィルターを通さずダイレクトに言葉が伝わっていく感じがしました。
またその分、ことばにならないことはならないまま。
でもそれで良いというか、むしろそっちのほうが良い気がしました。
僕はいつも、何かを表現しようとことばにした途端に、切り落とされる大事なものがあると思っています。
その大事な部分を聴く人たちにそのまま受け止めてもらったり、想像してもらったりする経験が、今回の<語り場>にはあった気がします。
そしてもうひとつ、改めて”問い”の大切さも感じました。
語っていると、自分はこんな”問い”を持ち続けて今に至っているなぁと気がつくわけです。
僕にとってそれは「家族」というテーマなのですが、中身については長くなるので割愛しますね。
その”問い”は、これまで自分が経験したことから、これってどういうことやろう?と、その意味を考えることで出てきたものです。
それは単なる経験の羅列ではなく、それらの経験を何とか統合しようともがく僕自信のプロセスでもあります。
生徒たちや他のスタッフの人たちには、そういう”問い”について一緒に考えてもらったり、僕自身を知ってもらったりしたのではないかと思います。
語る上で、全然イメージできないことばやよくわからないことばもあったはず。
でもいつかそれが、誰かの”問い”に関わることばになるかもしれません。あるいは、そもそもの”問い”を立てるきっかけになるかもしれません。
「学びの森」における「大人」として、そういう姿も見せられたらいいのかなぁと思いました。
また、この<語り場>という活動が、生徒たちのなんかモヤモヤする、これってなんなんだ?という”問い”を気軽に共有できる機会になるような側面を持つことも面白いかなぁと思いました。
何にせよ、改めて”問い”って大事。
ここで働き始めて思ったことが、また自分の中で巡り始めています。
では、また~