螺旋を描いて
どうも、学びの森のキノシタです。
いきなりですが、暑くなるの急すぎません?!まだ心と身体の準備ができてないんですけど?!
というわけで、学びの森でも今日から扇風機が導入されました。ありがたや。
それはさておき、最近というよりもここ数年くらいずーっと、自分の中で「このままでいいのか?」という疑問があるんです。
それは「仕事の面で」とか「私生活の面で」という部分的なものではなく、「生き方そのもの」みたいなものへの疑問です。
―僕はどう在りたい/生きたいのか?
アンパンマンの歌が何度も脳内でリピートされそうですね…笑
そこへ立ち返りたい自分がいる。
でも現実は慌ただしく過ぎていくし、そこに蓋をするスキルを手に入れた自分もいる。
それではあかんと思って、その矛盾を越えようと悩む自分もいれば、越えないほうが楽だと囁く自分もいる。
そういったことが無意識のうちに起こっていて、ふとした時に意識に上るということが繰り返されている感じがします。
そんなときにたまたま、僕自身が学びの森に来て最初に書いた文章を見つけました。
以下、全文です↓
「今、自分がしたいことを書いてください」と言われましたが、したいことと言われるとキリがなかったので、「今、自分がしたいこと」というよりは「今、私がどうなりたいか」を書くことにしました。
この「今、私がどうなりたいか」という問いは、大学院の修士論文を執筆しているときからずっと考えていることです。
今回はその問いを考えるきっかけとなった出来事と、現時点での私なりの考えを書きたいと思います。
私がその問いを考えるきっかけになったのは、修士論文の調査のために訪れた、京都府亀岡市にある認定フリースクールで出会った生徒の一言でした。
当時の私は、不登校になりながらも意欲的に勉強に取り組むそのフリースクールの生徒の姿を見て、生徒たちは勉強に対してどんな意味づけをしているのか、学校とは何が違うのかなどの疑問を持っていました。
そして、いざその場で生徒にそれらを問うたとき、逆にある生徒からこう問い返されました。
「一先生はなんで学校に通い続けていたんですか?」と。
この問い返しは、私を強く揺さぶりました。まったく答えることができませんでした。
知らず知らずのうちに私は、「不登校」を「支援の対象」であり、「弱い存在」であると考えていたのかもしれません。
そして、自分自身が学校に通い続けていた理由も答えられないのに、なぜ学校に行かないのかを問うた自分の浅はかさを恥じました。
なかなか答えの出ない問いに悶々として、一度は投げ出したくもなりました。
しかし、そこで止まってしまっては、生徒たちに対してもっと失礼だと思いました。
そして、生徒たちの生きる現実を言葉にするため、また自分の浅はかさを認めつつ、新しい自分を再構築するためにも修士論文の執筆を続けたのです。
そこでの対話は、肩書きを捨て、開かれた対話だったと思います。
誰かが語った文脈に、自分の文脈を重ね合わせていく。そうしてできあがった大きな文脈を言葉にする。
こうしたことを繰り返しおこなったものが、私の修士論文になりました。
論文を書ききったとき、私の中で「不登校」という言葉はもうただの言葉でしかなくなっていました。
社会がある事象を「問題」とするとき、私たちは「それがなぜ問題なのか」という前提を問い直さないままそれについて思案してしまうことが多いのではないでしょうか。
そして、その「問題」の渦中にいる人たちの声に耳を傾ける姿勢を失っているのではないでしょうか。
現在、私は縁あってそのフリースクールで働いています。そこで働きながら、いつもこう思っています。
社会が「問題」としていることの前提を問い直すことができる感性や視点を身に付けたい。
また、「問題」というラベルを貼られた人たちの言葉、あるいは言葉にならない思いを敏感に感じとることができるようになりたい。
私は今、このふたつのことができる人間になりたいと思っています。
この文章を読んだとき、僕はどう在りたい/生きたいのか?について、全然変わってないということに気づきました。
学びの森でつくってきた時間や空間にも、こうした想いが根底にあります。
「問題」としていることの前提を問い直す感性や視点を身につけ、言葉にならない思いを敏感に感じとることができる人になりたいからこそ、
自分とは違う経験を持った「他者=外部」との出会いや、真摯なやりとりの中で学ぶ機会をつくろうとしてきました。
ここで改めて”それは何のために?”という問いが立ちあがります。
前回書いたブログ(『学びの森新聞?!』)の最後のほうにつながるところですね。
具体的に何をというのはないのですが、これまでと同様にぐるぐる螺旋を描きながら、しかしこの文章を書いた当時の熱量を忘れず、一歩を踏み出したいと思います。
自分語りになってしまいましたが、生徒も保護者の方も他のスタッフも、おそらく一緒なんだろうなぁと思ったので書きました。
感想や考えたことなど、またお聞かせください。
では、また~