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日誌

”「モノ」から”学ぶ

どうも、学びの森のキノシタです。

最近ずーっと言語化できずに悩んでいることがあります。

今日はだらだらとそういうのを描いてみようかなと…。

 

僕は現在個人的に、また生徒も一緒に巻き込みながら、アーティストの柳雄斗さんの「ハルマチプロジェクト」に参加しています。

それは、そこでの経験が自分にとってすごく大事というか、そこで過ごす時間が生きてる!という実感を伴うものになっているからなんです。

 

柳さんとの教養講座では、そういう経験ができる場や時間を一緒につくれたらいいなぁと考えていたので・す・が…。

なぜそれを学びの森の講座として取り組むのか?を生徒や他のスタッフに説明するために、まずは「僕がそこで経験したことの意味は?その経験から学んだことは何なのか?」を考える必要があるよな…という壁にぶち当たりました。

 

あぁでもない、こうでもないと考えながら、スッと自分に落ちてきたキーワードが『”「モノ」から”学ぶ』でした。

僕が具体的にハルマチで取り組んだことは、①壁の隙間ををパテで埋める、②壁に漆喰を塗る、③床を張る、の三点でした。

 

これらの作業を通して、僕は ”「モノ」について”学ぶ経験と、”「モノ」から”学ぶ経験をしたのではないか?

”「モノ」から”学ぶ経験こそ大切で、それは今の学びの森ではなかなか経験できないことではないか?

とまぁ、こんな仮説が出てきたわけです。

 

”「モノ」について”学ぶ経験というのは、②の作業で言うところの

 

・漆喰そのものについて

…メリット/デメリット、成分

 

・漆喰の塗り方について

…左官道具の使い方、塗るときのポイント

 

・漆喰の作り方

…水と漆喰を混ぜる手順、混ぜる道具の使い方や名称

 

といったところでしょうか。

言い換えれば、教科書に書いてある概念(「Aとは~である。」的な知識)を学ぶイメージです。

 

それに対して、”「モノ」から”学ぶ経験というのは、

 

・漆喰の匂い、粘り気と成分のつながり

…ただの白い粉が水と混ざって粘り気が出ることや、乾いたら海の匂いがすることから、成分が海藻であることを実感する

 

・その時の温度や湿度によって変わる乾き方

…実際に塗ると思った以上に漆喰がのびないことと、部屋の温度や湿度が関係していることを実感する

 

・自分の身体と道具との関係

…どうしたら美しく塗ることができるのかを試行錯誤しながら、自分の身体が道具を使っている/身体に道具が使われている感覚になる

 

・自分の技術、その日の気温や湿度と漆喰のやわらかさとの関係

…美しく塗るための身体の使い方、気温や湿度との関係の中で、どれくらいのやわらかさで漆喰を調合したら良いかがだんだんわかってくる

 

みたいな感じなんですね。

この部分がなんとも言葉にできない!!!でもなんか大事な気がするんです!!!

そしてこういう経験は、「モノ」と対峙してそれに没頭する時間や、「モノ」との緊張関係において真剣に取り組むことでしか得られないものなのかもなぁ?だから学校や学びの森ではなかなか実現できていないことでもあるのかなぁ?とも思いました。

 

ここまで言語化したところで、生徒にもこの産みの苦しみを味わうが良い…と思いながら、①と②の作業に参加してくれた生徒に同じ問いをぶつけてみました。

―あなたがそこで経験したことの意味は?その経験から学んだことがあるならばそれは何なのか?

 

話し合っているうちに、それぞれの生徒が自分のことばで表現してくれました。

要点は以下の通り。

 

・試行錯誤を継続し続けることの大切さと、そのプロセスを経てやっと「できた!」という喜びがあった。

 それは数学のテストで100点を取るみたいに、誰かに数値で評価されるのとは違って、自分で自分を評価できるような喜びだと思う。

 

・この経験は、直接自分の人生に役には立たないかもしれないけど、身体の中に残るような経験で、別のことにも応用できる経験だったと思う。

 

・頭だけで考えるところから、頭と身体が混ざり合って、最後は頭というより身体だけで作業をするような感覚があった。

 それは何かに対して没頭していくプロセスに似ていて、その時間は大事だと思う。

 

思えばこれまで、この問いをめぐって振り返ることってしてなかったかも…と反省。

もっとこういう問いを投げかけてもいいというか、この問い/目線で関わることも大事だなと思いました。

それは、こちらの側が「こういう経験をしたら、当然こういうことを学ぶだろう」という前提となる枠組みも、どんどん壊していくためにも必要な作業だと思います。

 

そしてそして、”「モノ」から”学ぶ経験自体も、その意味を一人ひとり考えるという作業も、かなりの時間がかかることだとも思いました。

今の社会は、小学校→中学校→高校→大学→就職…と、ある時間軸の中でベルトコンベアーのように振り分けが進んでいるような気がします。

それって「人間らしさ」とか「生きてる」とか「生活」というのとは、全然違う時間軸な気がしてなりません。

 

僕が今生徒やスタッフのみんなと過ごしたいのは、後者のような時間軸ではなかろうか?

そこで改めて問われる「フリースクール」や「教師」の役割ってなんだろう?

みたいなことを考えながら、ちょっとずつ実現に向けてできることを模索中です。

 

何を言ってるかわからない文章になり、失礼いたしました。

また考え続けます。

では、また~