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日誌

小学生と中学生

どうも、学びの森のキノシタです。

年末年始にかけて、ブログの更新が滞っており大変申し訳ありませんでした…。

 

新学期が始まり、少し落ち着いたので最近のことを振り返ってみたいと思います。

まずは休み明けの小学生たち。

 

みんな休みの間の出来事を嬉々として話してくれるので、こちらも楽しい気分になりますね。

どこへ行った、何を食べた、何がすごかった…などなど。

 

覚えているというか、血肉として残っていることが、一人ひとり全然違うことに改めて驚かされました。

でも面白いのが、みんなに共通して「食べたもの」の話が出てくること。

 

文字通り血肉となるその具体性に、小学生らしさを感じました。

それと、やっぱり自分が「これ好き!」と感じたり、「これいい!」と思ったこと/自分にとってポジティブな経験を共有したいという気持ちがストレートに出るなぁと。

 

共有したい!と意識して話をしているわけではないんだと思いますが、共有できることへの喜びは感じているような気がします。また共有してくれることに僕も喜びを感じているんだと思います。

大人になるにつれて、そういう自分の心の柔らかい部分を素直に誰かと共有することって、もしかしたら減ってきたのかも…。

 

小学生たちと話をしていると、改めて自分が何を大切にして生きていきたいか、自分ってどんな人かを考えさせられます。

みんなもこうして話をしながら、少しずつ自分の輪郭をつくっていっているとしたら、もっともっと話をしたいなと思いました。

 

そして中学生。

こちらも休みの間の出来事を話してくれるんですが、小学生とはまた色が違います。

 

色々な出来事から、自分はこう考えた、こんな風に感じた、こんな疑問を持った…などなど。

小学生よりも抽象度がぐっと上がってくる感じがします。

 

だから話をしていると、次々にテーマが移り変わっていって、結局何の話してたっけ?!みたいなこともしばしば…。

僕も中学生たちも、それらに対して何かひとつの「正解」を出すことを求めているのではなく、ああでもないこうでもないと対話を重ねるそのプロセスを求めているのかもしれません。

 

安心して自分の意見を伝え合うというか、一緒に考え合う時間になっていた気がします。

こういう時間もまた、大人になるにつれて減ってきたのかも…。

 

そういえば僕が中学生だったころ、学校の帰り道に、ある友達とずーっとああでもないこうでもないと話をしていたのを思い出しました。

日本の未来についてみたいな大それたことでは決してなく、今の自分たちに地続きな、小さな(でも自分にたちにとっては大きな)ことについての対話。

 

この対話が今の僕をつくっている、とまでは言い切れませんが、この対話の経験が自分にとってすごく心地よいものだったことは間違いありません。

恥ずかしくて記憶から消したいようなこともたくさん話していましたが…笑

 

最近中学生たちと話をしていると、みんなこの先どんな風に生きていくんやろう?というか生きていきたいと思ってるんやろう?と考えるようになりました。

別にそんなこと考えてなくてもいいけど、考えてたら聞いてみたい。

 

「中学生」という記号を生徒たちに当てはめるのが良いことなのかはわかりませんが、「中学生」ってすごい時期なのかもしれません。

そんな時期に、同じような熱量で、自分にとって大事なテーマについて話し合える関係があるというのは大切なことなのかも。

小学生同様、中学生とも、もっともっと話をしたいなと思いました。

 

短かったですが、新学期が始まってから印象に残ったことを振り返ってみました。

では、また~