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日誌

生徒同士で解決する

どうも、学びの森のキノシタです。
久しぶりのブログ更新になってしまいました。
今回は教室で起こったある出来事について考えたことを書きます。

 

ブログで何度も触れているように、在籍している小学生の生徒の割合が増えてきました。
小学生といっても一括りにはできないんですが、やはり低学年になればなるほど、わちゃわちゃするときも。

 

ある日、小3のA君が、理科の時間にプログラミングをしていました。
するとB君がやってきて、一緒に作業を始めました。
さらにC君もやってきて、みんなで何かを作り始めました。

 

B「ここはこうしよう」
A「え、それやったら無理ちゃう?」
B「ちょっと貸してみて!」
A「だから無理やって!」
C「じゃあこうするのは?」

 

みたいなやりとりをしながら、試行錯誤を繰り返しているようでした。
議論がヒートアップしてくると、声のボリュームも上がります。

 

やっとのことで完成したロボットを、プログラムを組んで動かすと…
うまくいかないから面白い。笑
ここでも先ほどのような議論をしながら、あっちへいったりこっちへいったり、教室を動き回ります。

 

僕は傍から、同学年の子同士が協働する姿は良いなぁと思って見ていました。
協働の中でしか得られない学びもきっとあると思うからです。

 

でも、教室にいる他の生徒からすれば、それは単に良いなぁでは済まされないことでした。
生徒に話を聞くと、正直ちょっとうるさいと感じていたとのこと。


リスニングをしていたり、ICT教材で動画を見ていたり、もともとざわざわしたところが苦手だったり…。
そういった生徒にとっては、誰かの協働の学びが、自分の学びを妨げる要因にもなっていたのです。

 

学びの森には、みんながある程度前提としている考えがあると僕は思います。
それは、「お互いの自由を認め合う」こと。


たとえ自分が自由にできても、それによって誰かの自由を奪っていたとしたら、その自由は認めていいのか?
また、お互いに自由を認め合うためにはどういうことが必要なのか?

 

生徒たちを見ながら、僕自身もこの場をつくる一員として、もっと考えていきたいと思いました。

 

とまぁ、こんな出来事があってから数日後。
掃除の時間に、Dさんが「みんなでやってるのに、E君もちゃんとやってよ!!」と珍しく怒っていました。

E君の反応は「ちゃんとやったで!」でしたが、Dさん的には納得のいかない様子。
<ちゃんと>の言葉が持つ意味は、人それぞれです。

 

それを見て、Dさんが自分の思ったことを気後れせずに言えたことにも感動しましたが、それ以上に生徒同士のやり取りの可能性を感じました。
「お互いの自由を認め合う」ことが脅かされたとき、周りの大人がなんとかしようとするのではなく、生徒同士でぶつかって解決する。

 

僕たち周りの大人は、思い切りぶつかれる環境と、ぶつかったあとのケアをどうするかだけを考えてもいいのかもしれません。
教室の雰囲気、どんな風に変わっていくんでしょうか?
楽しみですね。

 

では、また~