一人芝居・浜辺ふう版『ウリハラボジ』公演
ご無沙汰しております、学びの森のキノシタです。
最近バタバタしすぎていて、ブログが更新できていませんで申し訳ありません。
でも今日は特ダネ入ってますよー!!!
そう、タイトルのまま!!!
待ちに待った、浜辺ふうさんの公演がありました!!!
今回はその内容にまでは触れません。なぜなら、まだ全然ふうさんの演技から受け取ったものを言葉にできそうにないから。
そして、この受け取ったものは丁寧に、こちらも思いを込めて返したいなと思ったからです。
じゃあ何書くねん!?って思ってますよね?
今回書くのは、僕がこの日を迎えるまでに経験したこと、そこから考えたことを書こうと思います。
ふうさんの出会い場から始まった「東九条プロジェクト」。
「学びの森」と「東九条の人・モノ・こと」とのつながりをつくり、
そのつながり、つまり出会いの中で何かを感じ取り、発信していくことを目的にしたこのプロジェクトには、
ふうさんや村木さんはもちろん、学びの森のスタッフや目の前生徒たち、フィールドワークではその場にたまたま居合わせた人たちまで、
思い返せば、実にさまざまな人が関わってくれていました。
この日はどんな場にしましょう?目的は?方法は?
実際に打ち合わせをしたのはふうさんや村木さんたちだけですが、
回を重ねるごとに、生徒や関わってくれている人の想いのようなものもそこに乗っかっていったように思います。
なかなか言葉にはできないけど、知りたい、伝えたい、表現したい想いが、ときには思い描いていたように、
ときには全く予想もしないカタチになって、目の前に現れてくる感覚が僕はとても楽しかったです。
それらを振り返りながら、じゃあ次は何しましょう?と話をもちかけられることも楽しかったことのひとつです。
自分の中の大切にしたいもの、相手の中の大切にしたいものを、
決して粗末に扱うことなく、でもぶつかることを避けずに出し合う。
僕はよく「つながり」という言葉を使うんですが、その「つながり」はこういう関係性のことなのかもしれないと思いました。
出会い場や、フィールドワークのときのブログを書いたとき、ふうさんと村木さんは何度も
「ここはこうやって書いてほしい。」
「これはこの言い方のほうが適切やと思う。」
と、指摘してくれました。しかも、ちゃんと理由を添えて。
僕はそういうやり取りの中で、ふたりの大切にしたいものを知ることができたような気がします。
というか、こういうやり取りの中でしか、相手の大切にしたいものって知ることができないのかもしれないと思いました。
また、毎回生徒が書いてくれる振り返りをもとに話し合うことで、一人ひとりの「琴線に触れる部分」を知ることができたような気がします。
いや、知ることができた、は言い過ぎですね。そういうことを考えるきっかけになった、としておきます。
でもこうした生徒との話し合いが、次をつくる種になっていたことは間違いありません。
その種を共有しながら、今日の公演の日を迎えました。
ふうさんの演劇が始まる前、僕は何をするわけでもないのに、妙な高揚感がありました。
ふうさんの演劇が終わった後、僕は何もしてないのに、変に解放感がありました。
それらはきっと、いろんな人に関わってもらいながら、僕自身が「~したい!」と思う場をつくってきた、
そういう場をつくる当事者のひとりになっていたからだと思います。
これは今までに味わったことがなかった感覚かもしれません。
「僕だけ」感がない場というか、文字通りいろんな人とつくった場というか…。
そんな場がだんだんできていく様子を目の前で見ることができたような感じがしました。
なんか全然納得のいかない言葉になってしまっていますが、今はまだこれが限界なのかもしれません。悔しい…。
でも、こんな感覚を味あわせてくれた人たちに感謝したいなと思います。
改めて、皆さんありがとうございました。
一人芝居の内容については、後日しっかり書きます!
では、また~