第一回 東九条フィールドワーク
こんばんは、学びの森のキノシタです。
今回のブログでは、先日おこなわれた<第一回東九条フィールドワーク>の詳細をお伝えしたいと思います。
とその前に、そもそもなぜこんな企画を考えたかはこちらのブログを参照願います。
ブログ:「こんなプロジェクト始まります」
さて、待ちに待ったフィールドワークの日!
遅めの梅雨入りで、ずーっと雨が降り続いていましたが、この日は奇跡的に晴れました。
というか、晴れすぎました…。こんな暑かったっけ!?と思わせる日差しの中、みんなで京都駅を出発。
村木さんの待つ、「京都市地域・多文化交流ネットワークサロン」へ向かいます。
ネットワークサロンで村木さんと合流し、挨拶を済ませ、レッツラGO。
少し歩いたところで立ち止まった村木さんは、なぜこの地域に在日コリアンの方々が多く住んでいるのかを話してくれました。
ある国が別の国を「植民地にする」ということは、いったいどういうことなのか?
その結果、人々の生活はどう変わるのか?
教科書のようにただ漠然と歴史の事実を追っていくのではなく、一つひとつの言葉の意味を考えられるように話をしてくれていました。
そこに、一台の車が到着。デイサービス(?)の送迎の車でした。
僕たちが話を聞いていた場所は家の前だったんですが、車から降りてこられた人こそ、その家のおばあさんだったんです。
村木さんは「○○さん、久しぶり~!元気にしてた~?」と声をかけました。
そのおばあさんも村木さんとの久しぶりの再会に、なんだか嬉しそうでした。
村木さんはそれが「当たり前」のように、家にあがるのを手伝ったりしていました。
「ごめんごめん、○○さんはこの家で昔駄菓子屋やってて、地域の子どもらが毎日通う居場所にもなってたんやけど…」
と言いながら僕たちのところへ戻ってきた村木さんを見て、僕は「なんかこういう”つながり”っていいな」と思いました。
続いて向かったのは、コミュニティカフェ「ほっこり」。まちづくりや地域の方々の交流の場です。
この日は以前<出会い場>に来てくださった浜辺ふうさんがラジオの収録をしていました。
ご好意で中に入れていただき、なんと収録に飛び入りで参加もさせてもらいました!
僕が緊張しまくってるのがよく伝わるのではないでしょうか?笑
ラジオの放送が気になる方はコチラを是非チェックしてみてください!
「ほっこり」を出たあと、横のスペースで休憩がてら村木さんが話をしてくれました。
戦後間もないころは、配給では足りない食料を確保するために、子どもも必死で動き回っていたこと。
手に入れた食料を、京都駅での検問にひっかからないように、電車から下で待つ家族に投げ下ろしたこと。
そういった時代を生き抜いてきた人たちの話を、村木さんはたくさん聞いてきたんだと思います。
生徒たちは、今の時代との違いに驚きながらも、真剣に耳を傾けていました。
さて、体力も回復したところで、次に向かったのは「マダンセンター」です。
最近改修工事をおこなったマダンセンターは、学びの森の生徒と一緒に参加したこともある「東九条マダン」というお祭りのときに
民族楽器の演奏練習をしたり、マダン劇の練習をしたりする拠点です。
ちょうど、マダンセンターに立ち寄っていた朴実(パク・シル)さんに村木さんが「ちょっと話してください」と声をかけました。
朴実さんは快く「マダン」という言葉の意味や、そこに込められた想い、東九条マダンの歴史など、たくさんのことをお話してくれました。
まだ東九条マダンに参加したことのない生徒たちも、これで興味を持ってくれたかもしれません。
今年はコロナの影響で開催されるかわかりませんが、何かしらのカタチで参加したいと思います。
続いて向かったのは「九条大橋」です。
戦後、在日コリアンの多くがこの橋の建設に関わったといいます。
村木さんが話を聞いてきた人の中には、こうした土木事業に従事した人もいて、
「京都の水道は全部ワシが通したんや!!」と言い張る人もいるぐらいだそうです。
この橋の下をくぐり少し歩くと、「東山橋」という橋がありました。
この橋は、映画『パッチギ!』に登場した橋だそうです。
主人公とヒロインがこの橋を行ったり来たりするシーンは、二人が朝鮮と日本の「架け橋」になることを表しているそうです。
何を隠そうこの僕は、学びの森のHPの講師プロフィールに「好きな映画:パッチギ!」と書くぐらい好きなんです。
もうかれこれ8回は観ましたが、また観たくなりました。
生徒の中にも興味を持って観てくれる子が出てくることを願います。
さて、続いて一行が向かった先は「京都南部教会」です。
ここでは現在、「東九条子ども食堂」を毎週開催しているそうです。
また、牧師さんや教会のスタッフさんと、地域の子どもたちとの”闘い”の歴史も教えてもらいました。
ときには「もう出入禁止!」と言われる子もいたそうですが、
そんなすったもんだを繰り返しながら”つながり”を深めてきたため、今でも子どもたちの居場所になっているそうです。
フィールドワークも終盤にさしかかったところで、村木さんが電話をかけました。
「もしもしー、今フリースクールの子らとフィールドワークしてるんやけど、ちょっと出てきて喋ってくれへん?」
そう言って向かったのはNPO法人京都コリアン生活センター「エルファ」です。
代表の方が出てきてくれて、話をしてくれました。
エルファは、高齢や障害のある在日コリアンの方を主な対象に、幅広い活動をおこなっているところです。
自分の住む地域の高齢者施設では、言葉や文化の違いから、どうしても馴染めない、ありのままの自分でいられないー。
あるいは、いろんなサービスを受ける権利があっても、日本語が読めない/書けないことからサービスを受けることができないー。
そんな方々の居場所であったり、必要とされるサポートをおこなっているという話が印象的でした。
最後に済州島から来たという石像の頭を撫でて、エルファを後にしました。
生徒がバテてきたので、「故郷の家」を横目に、ゴールの「東松ノ木市営住宅」へ向かいました。
すると、たまたま散歩に出てきていた住民の方と遭遇。
挨拶をし、村木さんがフィールドワークをしている旨を伝えると、これまたたくさんの話をしてくれました。
その方は在日コリアン2世だったのですが、事前学習の映像に出てきた水道闘争の話や、この市営住宅ができるまでの話など、その方にしか語れない内容ばかりでした。
僕が印象的だったのは、「一人ではどうしようもなかった。学生の子らやいろんな人が応援してくれたからできた」という言葉でした。
僕は当時の状況などを、写真や本、誰かの話でしか聞いたことがなかったのですが、
東九条という地域は、これまで本当に文字通り「いろんな人」が関わってきたんだなと思いました。
「いろんな人」がいるからぶつかる。でも「いろんな人」がいるから助け合える。
普段は一人ひとり考え方が違っても、必要なときに同じ方向を向くことができる”つながり”があったのかなと考えました。
最後に、市営住宅の交流スペースで振り返りをしました。
このときも村木さんは、生徒一人ひとりの感想に対して、「こんなエピソードもあってね…」「当時の東九条はね…」と応答してくれていました。
また、ある生徒が感想をなかなか言えなかったときも、「どうやった?不思議やった?楽しかった?」と生徒が言葉を発するのを待ってくれたり、
感想を言えなくても、「言わないのも表現やから大丈夫、でも今頭が真っ白とか、まだ言葉にできないとか言えるといいよね」と言ってくれていました。
生徒と関わる村木さんを見ていて、本当に自分の考えを自分の言葉でストレートに伝える方だなと思いました。
前回、浜辺ふうさんが<出会い場>で自分のライフストーリーを語ってくれたときのように、
今回のフィールドワークで、僕は村木さんと確かに「出会った」ような感じがしました。
その感覚はきっと、生徒たちの中にも残っていると思います。
僕はこのフィールドワークを通して、改めて東九条の人と人との”つながり”を感じました。
それは、村木さんの言葉で言い換えると、”人間くささ”なのかもしれません。
”人間くささ”って大切なことだと思います。
生きてたら、嬉しいことも、悲しいことも、腹が立つことも、ぶつかることも、出会うことも、別れることも…いろんなことが起こります。
それと向き合ったり、ときには受け流したり、逃げ出したり、誰かに助けてもらったりするのが”人間くささ”だとすると、
それを素直に出し合える関係性が、自分の身の回りにどれくらいあるか考えると、意外と少ないかもしれません。
僕自身も、学びの森の生徒たちも、そういう関係性をつくっていけたらいいなと思いました。
今回のフィールドワークに関わってくれたすべての方に感謝を申し上げます。
個人として出会う中で、もっといろんなことを知り、考えていきたいと思います。
こんなに長い文章にお付き合いいただき、ありがとうございました。
では、また~