なんで掃除の時間があるの?
こんばんは、学びの森のキノシタです。
今日は月に1回開催される<掃除ゼミ>の様子をお伝えしたいと思います。
この<掃除ゼミ>、新年度が始まる前に「掃除の時間の意味を改めて考えてみよう」と
なったことがきっかけで開催されるようになりました。
学びの森ではこれまでずーっと、昼休みの時間に、教室や玄関、教室の外周りの掃除をしてきました。
でもなんで?
掃除ってなんでする前提になってんねやろ?
こうした部分は、いつの間にか「当たり前」のこととして、問われないようになっていました。
学びの森の教室やその周囲を掃除することは、なぜ「当たり前」なのか?
生徒たちとイチから話し合ってみることにしたんです。
すると、生徒からは
・汚いのは嫌だから
・心地よく生活するため
・来た人に「きれいだな」と思ってもらうため
・「通いたいな」と思う場所にするため
などの意見が出てきました。
しかし、ここでひとつ大きな問題が…。
そう、その「汚い」とか「心地よい」とか「きれいだと思う」とか「通いたいと思う」というのには、個人差があるということです。
自分では「めっちゃ汚い!」と思うことでも、となりの人からしたら「え、全然平気」なんてことはよくあります。
そんな基準がバラバラな人が集まって生活する上で、「掃除」の時間にはどんな意味があるのかについても話し合われました。
生徒の意見の中から浮かび上がってきたテーマは、みんなで使う空間での「ふるまい」でした。
みんなで使う空間では、自分だけが自由で心地よくふるまうわけにはいきません。
なぜならそのふるまいが、他者の自由や心地よさを邪魔してしまうこともあるからです。
では、どうすればいいか?
もちろん正解はないですが、お互いが自由で心地よくなるポイント、またそれをなぜ自由で心地よいと感じるのかの理由を
話し合って、お互いにそれを承認していくしかないと僕は思います。
「掃除」の時間は、そのプロセスを踏むきっかけになるのかもしれないと考えました。
生徒たちとの話し合いを経て、こんな風に学びの森の中で「当たり前」になっていることってたくさんあるかもな、と思いました。
そして、それを「なんでやろ?」とか「ちょっと変だな」と思っている生徒もいるのかもしれないことを考えると、
「当たり前」になっていることや、疑問に思っていることを、みんなで話し合う機会を設けたいなと思いました。
学びの森の<全体集会>とか、企画してみようかな・・・面白いかもな・・・
では、また~