中高生ゼミに参加して、殻を破る?
こんにちは!
学びの森のキタムラエミコです。
あれ、いつもキノシタなのに違うやん! とお気づきの方も
いらっしゃるかもしれません。
私、大変久しぶりにブログを書いております。
たぶん4、5年ぶりです。
若い人たちのように気軽に発信することに慣れていない世代のため
ブログを書くことからは遠ざかっていました。
しかし、
書こうかな~という自発的な気持ちが出てきたのです!
理由は先週から参加している中高生のゼミ
彼らの思考を整理して言語化するチカラの進歩を目の当たりにし
私自身も書くことで言語化してみたくなりました。
さて、その中高生ゼミ
今日の題材は
「アフリカ出身・京都精華大学サコ学長 コロナ問題でわかった「日本人のホンネ」
AERAdot 小坂綾子2020.5.14 」
桜井先生が記事を音読した後、
グループに分かれて思ったこと、意見を出し合います。
私が入ったグループは中学生2名、高校生1名
シーンとなる間もなく、意見がどんどん出てきます。
えっ! 早っ!!
「そもそもなんでそのことが問題とされているのか?」
「“親”や“家”を信頼しすぎでは?」
「ここで言ってる学力って何?」
彼らから出てくる意見の視点の多様性に圧倒されながら
どこに着目して意見を述べるか
頭の中フル回転で考えている自分がいた!
(もはや全く生徒たちと同じ一人の参加者です)
みんなから出たさまざまな意見を集約すると
個人 ― 共同体 ― 自立
といったテーマが浮かび上がってきました。
なかなか裾野の広いテーマです
ここからみんなが納得しながら
答えにたどり着くのは大変だ~
桜井先生曰く
「みんなが納得する答えに至るのはむずかしい。
だからこそ、熟議ができる力がいる。」
先週のゼミで香川県のゲーム条例について
みんなで考えた後、
振り返りで次のように書いていた中学生がいた
「ある問題に対して自分の意見は持っていても、
話し合いをしないとその問題について深く考えられないと思った。」
そう。
彼らは
自分の考えを深めるには
他者の視点が必要なことをわかっている。
それをきちんと言語化できるほどに。。。
うーん
これはうかうかしていられない
わたしもたまには文章化して
心地よく流れていく生徒たちとの濃厚な時間のなかで
何を思い感じたのか整理してみよう。