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日誌

語ったことが現実になる

先日、久しぶりに「森の語り場」がありました。

「森の語り場」は塾長が一人の生徒にインタビューをして、ライフストーリーをみんなの前で語ってもらう活動です。

自分の過去と向き合い、自分の言葉で物語を紡いでいきます。

 

 

 

今回語り手となったのは、ハイスクールに通うA君。

みんながヘゴシダの木の周りに集まり始めると、かなり緊張しているようで、じっと動かずうつむいていました。

ちょっとまだ早かったかな・・・?と心配になりました。

 

 

 

森の語り場は、強制ではありません。

また、毎週行われるスタッフミーティングの中で語り手を話し合います。

学びの森への参加度はどんな感じか?、今インタビューして不安定にならないか?

など、色々考えたうえでその生徒と相談し、語るかどうかを決めてもらいます。

 

 

 

A君は語ることを引き受けてくれたとはいえ、本音じゃなかったかもしれないな・・・。

そんな一抹の不安がよぎりましたが、インタビューが始まるとA君はポツリポツリと語り始めました。

 

 

 

A君の小学校時代は、1学年に1クラスと比較的小人数。

休み時間はサッカーやドッヂボールをして過ごしたようです。

学校が終われば友達の家に遊びに行ってゲームをする毎日。

勉強は好きでも嫌いでもなかったけど、楽しい思い出が多かったと語りました。

しかし、6年生のときに衝撃的な事件が起こります。

クラスの大半が担任の先生に反抗し、文化祭の練習をボイコット。その流れにA君も巻き込まれていきます。

 

 

 

僕自身はこういう状況を逆につくったりした側なのでなんとも言えませんが、巻き込まれた側としてはすごく嫌な気持ちになったかもしれません。

A君が語る姿を見て、小学生の頃は考えも感じもしなかった生徒同士の影響について考えさせられました。

 

 

 

A君の中学校は3つの小学校から生徒たちが集まる学校でした。

中学生になると勉強が忙しくなり、新しく出会う生徒たちとはおろかそれまでの友達ともだんだん関係を持たなくなっていきました。

また、いくら勉強してもテストの成績が伸びないこと、そのことで親に小言を言われること、同級生から暴言を吐かれることに疲れていきます。

こうした背景があってA君は学校に行くのが億劫になり、ゲームの世界へ救いを求めるようになったみたいです。

 

 

 

僕がA君に「最近何が楽しい?」と聞くと、たいがいA君は「ゲームですかね」と応えます。

自室でゲームをするA君に対して、なんでこんなゲーム好きなんやろう?と思っていた僕にとって、A君の語りはどこか納得できるものでした。

もしかすると、本当にしたいことはゲームじゃないかもしれない、ゲームをしているほうが現実よりも安心できるのかもしれない、そんなことを考えました。

 

 

 

最初緊張しまくりでうつむいていたA君は、こうしたことを語るうちにだんだん表情が柔らかくなり、前を向いて語るようになっていました。

「森の語り場」の時間の中で、こんな風に変化するのって何なんやろう?そんな問いを考えていたときに、塾長から最後の質問がありました。

 

 

 

「A君はこれから、今みたいにゲームばっかりして一人で生きていきたいの?それとも小学校のときみたいに色んな人と関係を持ちながら生きていきたいの?」

A君は少し考えて、「前(みたいに)」と言いました。

 

 

 

友達と休み時間にサッカーやドッヂボールをするような、放課後に遊びに行くような経験をもう一度したい。

僕にはA君の言葉がかなり重みのある言葉のように思えました。

 

 

 

その言葉があったからなのかはわかりませんが、その日は「外遊び」の日だったんです。

女の子たちは、だるまさんがころんだやバドミントンをして遊び、男の子たちはサッカーをして遊びました。

僕もみんなに交じってひたすらボールを追いかけました。

暑いし、汗だくやし、人数も全然足りてないけど、それでもめちゃくちゃ楽しかったです。

 

 

 

普段はあまり参加しないA君も、その日はみんなと汗だくになっていました。

A君こっち!シュートや!という声、それを受けたA君の表情はとても印象的で、こんな風に楽しそうに笑うのかと驚いたほどでした。

 

 

 

私事ですが、僕は小学校からずっとバスケットボールをしています。

最近は忙しくて全くできていなかったのですが、この前半年ぶりに高校のOBで集まってバスケをしました。

 

 

 

ダムダムとボールをついているだけで、細胞が喜んでいるというか、言いようのない喜びがありました(割とマジで)。

体力も落ちてるし、全然走れないし、シュートもはいらなかったですが、心の底から楽しいと思えました。

それはたぶん、僕の中にバスケが心底楽しいと思える経験の蓄積があったからだと思います。

 

 

 

A君の場合、そういう経験があったにも関わらず、それを発揮できない環境や抑圧してしまう何かがあったのかもしれません。

その環境を「はい、どーぞ」と与えることや、何か本人にさせようとするのは違う気がします。

でも、外遊びでのA君を見ていて、本人が語った文脈が自然と実現できるように何か考えたり、一緒に行動することは必要なのかもしれないと思いました。

 

 

 

語ったから現実になったのか、現実が語りを引き出したのか

それはわかりませんが、語ることの力を改めて感じさせられた1日でした。