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日誌

短歌を「読む」

 

ゴールデンウィークの連休が終わり、とうとう授業がスタートした学びの森。

 

中学生の桜井先生のゼミの時間、この日はある短歌をみんなで読みました。

 

 

 

観覧車 回れよ回れ 想ひ出は 君には一日(ひとひ) 我には一生(ひとよ)

 

 

 

栗木京子さんの歌です。

 

 

 

 

まず、「観覧車」とはどんなものか、その言葉からどんなイメージを思い浮かべるかを皆で出し合っていきました。

 

 

・大きく高い

・景色、景観―解放感

・視点の変化―連続性(ゆるやか)、上る時の期待と下りていくさみしさ

・密室、限られた時間

・だれか(友人、恋人、家族…)と乗る

・特別な時間、空間

 

 

皆から出た意見はこういった感じでした。

 

観覧車に一人で乗るイメージはあまりわかないし、一緒に乗る相手は親密な相手のことが多い、さらに遊園地などの開かれた空間で完全な密室になれるのは観覧車の大きな特徴かも、視点の変化が常に見えるところも観覧車ならではだな…と納得。

 

 

 

 

実は私タナカ、このゴールデンウィークに観覧車のある場所に行ってきました。

 

 

 

 

…といっても乗ってロマンチックな時間を過ごしたわけではなく、女友達と2人で地上から見上げていただけなんですけども。

 

 

この日、観覧車自体はたまたま強風で動いていなかったのですが、観覧車乗り場の横にはハート型の撮影スポットがおあつらえ向きに置いてあり。

 

 

 

 

「観覧車」という場の設定、「観覧車」に対する我々のステレオタイプなイメージを象徴するようでした。

 

 

 

 

そんな「観覧車」から連想するイメージを皆で共有したあとは、それ以外の語句を確認していきました。

 

 

 

 

・「回れよ回れ」は「止まらずに回り続けてほしい」という思いの表れ?

・「君」って誰のことだろう?片思いの相手?恋人?男?女?

・「君には一日 我には一生」はどういうことを言っているの?

 

 

 

などなど。

 

ひととおり意見を出し終えたあとは、一人ずつ「私の思うこの歌のストーリー」を考え、発表していきました。

 

 

 

 

パターンA

この歌を詠んだ人は男、「君」は好きな女の子で、「我」にとってはこの時間は一生の思い出だけれど「君」にとってはたった一日の思い出だろう、という切ない片思いの歌

 

 

パターンB

この歌を詠んだ人は長年連れ添った伴侶を亡くしたおじいさんかおばあさん。「君」は今は亡き相手で、昔2人で観覧車に乗った時のことを思い出している歌。もう亡くなってしまった「君」にとって観覧車に乗った思い出は過ぎ去った一日のことだけれど、「我」にとってはこうして思い出し続ける、一生心に残る思い出なんだよ、という追憶の歌

 

 

パターンC

この歌を詠んだ人は女性で、「君」は恋人の男性。恋人同士ではあるけれど、ひとつの出来事にかける思いや注ぐ熱はそれぞれ違うもの。「我」にとっては観覧車に乗るという出来事は一生の特別な思い出だけど、「君」にとっては何でもない一日に過ぎない、という違いを切なく詠んだ歌。

 

 

パターンD

この歌を詠んだ人は母親で、「君」は子ども。どんどん大きくなっていく我が子は、成長したらきっと一緒に観覧車なんか乗ってくれない。子どもにとってはすぐに忘れられる一日の思い出だけど、親である「我」にとっては君と乗った観覧車の思い出は一生ものだよ、と子と過ごす限られた時間を思う歌。

 

 

パターンE

パターンDの変形バージョンで、この歌を詠んだ人は離婚して子どもと離れて暮らす親。「君」は久しぶりに会った子どもで、そのわずかな再会の時間を惜しみ詠んだ歌。

 

 

パターンF

たくさん話し合ったけれど別れることが決まってしまった恋人同士の歌。「我」は別れたくないから観覧車が永遠に回り続けてくれたらいいのにと思うが、「君」にはそんなに特別な時間じゃないんだね、という切ない思いを詠んでいる。

 

 

 

 

と、このように、出るわ出るわ、いろいろなアイディア。

 

 

 

 

この桜井先生のゼミの時間には「正解」はありません。

 

 

どのアイディアが一番いいかを競うのでも、あらかじめ決められた「正解」にどれが一番近いかを考えるのでもなく、「こんな読み方もできる」「あんな読み方もできる!」ということを考え、それを皆で共有しあうのです。

 

 

 

 

思えば学校の国語の授業で詩や短歌を読んだ時は、この詩(短歌)の描いている情景や意味、感情を先生から一方的に教えられ、それを丸暗記してワークに書き写したりテストで解答欄に書き込んだりしていたタナカ。

 

 

詩集などを読み心を揺さぶられるのは大好きでしたが、詩の授業ってなんかおもんないよな~と思っていました。

 

 

その「おもんない」感覚が一変するのがこの桜井先生の詩の授業。おそるべし…。

 

 

 

 

皆の前で意見発表するのは苦手、という生徒ももちろんいるため、そんな生徒には個人的にあとから考えたことや感想を聞いたりするのですが、それがまた結構面白いのです。

 

 

(ある子は「君」は余命宣告を受けた子どもだ、などと自説を教えてくれたり。それ詳しく聞きたかった…)

 

 

 

 

皆がそれぞれの形で「参加」しながら短歌を読んだこの日の授業。

 

 

来週以降は、実際に私たちも詩を作ってみるそうです。この様子もまたお伝えしたいと思います。