東九条春まつり2018
「夏か!?」とツッコミを入れたくなるような暑い晴天が続いた数日から一転、ここ数日は生憎のお天気が続く京都・亀岡からお送りします、学びの森のタナカです。
4月21日(土)、学びの森ハイスクールの生徒たちは、「東九条春まつり」に参加しました。
民族・障害・年齢・ジェンダーや生活スタイルなど、いろいろなちがいを知って、気づいて、出会えるようなまちをめざそうと、京都市地域・多文化交流ネットワークサロンに登録している55の団体がアイディアを持ち寄りつくる、手作りのおまつり。
春夏に行なったフィールドワーク(過去の記事:「第1回東九条フィールドワーク」、「第2回東九条フィールドワーク」)、そして秋に参加した東九条マダン(過去の記事:「いこかつくろか東九条マダン」)と、昨年は東九条という地域、そこに暮らす方々と関わってきた学びの森の生徒たち。
今年度も引き続き、まずこの4月にこのおまつりに出店するという形で関わることになったようです。
出店のメニューは東九条マダンに引き続き、たこせん。
このメニューに決定するまで、そしてどんな「たこせん」にするかを決めるまでも紆余曲折あったようなのですが、私はそこに参加していなかったので割愛します。
春まつり当日、私は本番までの経緯やその下準備に一切関わっていなかったため、出店者である「学びの森」のスタッフというよりは、いち一般参加者兼カメラマン、くらいの心づもりで楽しみに参加しました。
朝8時50分。京都駅アバンティ前に集合したハイスクールの面々。
あれ…?なんか人数多い…???
そうなのです。今回はなんと、以前から交流のあった立命館大学の学生さんたちも(過去の記事:「個人として出会う」、「『不登校』だから?」、「学びの森に、大学生がやってきた」)一緒にこの春まつりに参加されることになったのです。
学びの森の高校生と、大学生。皆が揃ったところで、会場のネットワークサロンに向かいます。
会場に到着。
プログラムはこんな感じ。出されたテーブルや椅子、準備の始まっている出店スペースに、これから始まるおまつりの気配を感じます。
前回のマダンと少し違うのが、生徒たち、そして立命館大学の学生さんは、学びの森として出店するたこせんの出店以外にも、ボランティアスタッフとして春まつり運営のお手伝いをすることになっているところです。
ボランティアスタッフの仕事は、ごみの処理や分別、リユース食器の運搬等。その説明をまず聞く皆。
お手伝いする仕事内容を確認したところで、出店の準備にとりかかります。
ここで本格的な準備、たこせんの作り方の共有、シフトの把握等がなかなか進まないことに不安を覚えた私。
とはいえこういった行事の運営や人を動かす経験をすることってあんまり無いもんなぁ、あんまりしたことないことをいきなりやってもやり方分からんわなぁ…と頭では理解しつつも、「あれは?」「これは?」などとついつい口を出してしまいました。いち参加者なのに。修業が足りん…。
それでもなんとかなるのが不思議なところというか、生徒たちの力というか。無事お店はスタートしました。
そもそも「準備はこうせなあかん」「きっちりやらなあかん」と思っている私の前提が凝り固まりすぎているのかもしれません。(そもそも「きっちり」って何でしょう)
ともあれ、それと同時に、ボランティアの仕事もスタートしました。
10時から15時までの5時間、約1時間半ずつのシフト制で
❝Sell❞(たこせん売り子)
❝Volunteer❞(ボランティア)
❝Enjoy❞(休憩、おまつりを楽しむ)
の3役に分かれ仕事を回していきました。
❝Enjoy❞で会場中をちゃんと見回って美味しそうなものをちゃんとゲットしてくる人、❝Enjoy❞なのにずっとボランティアを手伝い続ける人、❝Volunteer❞しつつごみを捨てにきたお客さんにしっかりたこせんのアピールもする人…
いろんな人がいるなぁと改めて思いました。こんなにいろんな人が集まって、普段一緒に生活したり遊んだり勉強したりしてんのやなぁと思うとなんだか感動して、ちょっと泣けてきたり。(いち参加者の私は美味しくビールをいただいていたので少し酔っ払っていたのかもしれません)
ハイスクールの生徒たちがこうして出店を出すということで、フリースクールの生徒も遊びに来てくれました。
なんと初めて自分一人で亀岡から京都駅まで電車に乗り、そこから会場まで歩いてやってきたという彼。「すごいやん!」と言うと「うん」と返事が。本人にとっても自信を持てる出来事となったようです。
普段、学びの森で日常を共にしている友人たちが店を出す、それに「行きたい」と思い、これまで経験したことのなかったことをやってみる。
そういった行動を生むほど、彼にとってここでの日々や関係性が意味を持つものになっているんだと思うと、同じ場所に参加している者としてなんだか少し嬉しくなりました。
普段は「おしゃべり」というほどではない生徒がおまつりに来てくれた私の友人とずっと喋っているのを見たり、最近元気な表情をあまり見れていないと思っていた生徒が楽しそうに売り子としてお客さんを呼び込んでいるのを見たり、はたまた民族、障害、年齢などの、その人の持つ「部分」のひとつが大きな「枠組み」となって私たちを、私たちの日常を分けてしまっているんだなと感じたり。
そんなことから、今いる場所にいない人と出会う、「他者」と出会うことの重要性を改めて実感したりもしました。
いろんなことを思う中終わっていった、春まつり。
想定していた来場者の年齢層とのギャップや当日の気候(暑かった!)からたこせんの売上は思ったより芳しくなかったようですが、この経験が彼ら(や私)のどこかに何らかの形で蓄積され、また新たな意味を形成するのだろうと思います。
春まつりに出店した皆さん、遊びに来てくれた皆さん、お疲れさまでしたー!