コラージュ ~探究の時間~
学びの森フリースクールでは、「探究」という名前の時間があります。
こちらが学びの森の時間割。
一人ひとり時間割が違うためこのようなモザイク状の時間割となっているのですが、一番右端の欄に「探究」という文字が見えますよね。
あ、ご挨拶が遅れました、学びの森のタナカです。今日はある日の「探究」の時間の様子をお伝えしたいと思います。
皆さん、「コラージュ」という言葉はご存知でしょうか?
手元の辞書に「コラージュ」の項が無かったのでウィキペディアさんに聞いてみると、こんな風に書いてありました。
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コラージュ(仏: 英: collage)とは現代絵画の技法の1つで、フランス語の「糊付け」を意味する言葉である。
通常の描画法によってではなく、ありとあらゆる性質とロジックのばらばらの素材(新聞の切り抜き、壁紙、書類、雑多な物体など)を組み合わせることで、例えば壁画のような造形作品を構成する芸術的な創作技法である。
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「コラージュ」という言葉を聞いて「?」と思われた方も、説明を聞くと「ああ、あれのことか」と思われた方が多いのではないでしょうか。
この探究の時間を担当している木下先生の言葉を借りると「雑誌や新聞という、ある意図を持って『編集』されたものの中からピンときたものを取り出し組み合わせ、別の意図で『編集』し直す」、コラージュ。
数回にわたり、探究の時間で生徒(とスタッフ)たちはコラージュ作品を作ってきました。
そして先日、その作品を皆で発表し合いました。力作ぞろいの作品たちを、ここでもご披露したいと思います。
三者三様十人十色、それぞれ個性が全く異なっていて、う~ん、おもしろい。
参加した生徒みんな、同じ雑誌や新聞を回して作品を作っているので、基本的には、素材となるものは同じものを見ているはずなんです。
なのに「何を選ぶか」「どう貼るか」「何を書くか」etc…が、まったく被らない。人って一人ひとり全然違うんやなぁ、おもろいなぁ、と改めて思います。
(もちろん先に他の人に選ばれてしまった素材は使えないので、全く同じ条件というわけではありませんが)
完成した作品を並べたあとは、皆の作品を見て「ここおもしろい!」と思ったこと、あるいは「なんでやろう?」と思ったことを作品の前に置かれた白い紙に書き出し、作成者がその問いに答えていく、という流れ。
ほかの生徒を見ていたため私はその場にはいられなかったのですが、私の作品に寄せられた問いに答えるため、少しだけ参加しました。
私の作品(一番下)に寄せられた質問は、「なんでそんなに足があるの?」という質問でした。
作っている時のことを思い返してみると、最初からこんな風に作ろうとは思っていませんでした。
ファッション誌で女性モデルがメンズライクな恰好をしているのがかっこいいと思いそれを貼ったあと、雑誌には「女」「women」「LADY」「LIKE A BOY」「Man」といった、性別を指す言葉がたくさん並んでいることに気づきました。
そしてそのあと、車の広告(確か…)に写るウェディングドレスの女性とタキシードの男性の幸せそうな姿が目に入り、「結婚→家庭を築く→車の購入」という図式が頭の中に浮かびました。
その瞬間、「それってめっちゃ安直かつステレオタイプ的図式では…?」という疑問が自分の中に浮かび、その前に目にしていた性別を指す言葉から連想するステレオタイプ的な社会的性差にまで疑問が広がりました。
そこで、そんなステレオタイプ的な性への見方、幸福の描き方なんか踏みつぶせ、あるいは軽やかに飛び越えてしまえ、という気持ちで足をどんどん貼っていったのです。
こんなことからも分かるように、探究の時間にはスタッフも「一参加者」になることが多いです。
(そもそも「スタッフ」「生徒」というフレームが違うだけで、広く言うとどちらも「学びの森」への「一参加者」なのですが)
一方的に知識を伝達するだけでなく、「一緒にやる」し、「一緒に考える」。
その中でこそ、生徒の持つすごさ、一方の己の限界が見えてきたりもします。
「探究」の時間は、教科の枠組みにとらわれずいろんなことをみんなで思考し、探究し、発表したり、議論したりする時間。
その時間のおもしろいところは、そういうところにもあるのかもしれんな、と思います。