私にとっての「学校」①
こんにちは、学びの森のタナカです。
学びの森に通っているのは、小学生、中学生、高校生の様々な学年の生徒たち。
学年によって学ぶ内容やその方法はもちろん異なりますが、小学生と中学生、中学生と高校生、そしてみんなでと、異学年の子どもたちが共に学ぶこともあるのがここのおもしろさです。
普段そんなみんなと接する時の発言や行動、考え方に強く影響しているなと感じるのが、自分自身の学生時代。
ということで、私自身の学生時代を振り返り、それが今学びの森でみんなと接するにあたりどんな影響を及ぼしているのか、考えてみたいと思います。
さて。
ゴーイングマイウェイで基本的にはおもしろおかしく過ごしていた学生時代ですが、高校まで、「学校」には窮屈さを感じていました。
私にとって「学校」の何が窮屈だったのか。
それを考えた時にいちばんはじめに頭に浮かんでくるのは、「先生」や「勉強」の存在ではありません。
進学校でもなんでもない田舎のフツーの公立学校で、要領をつかむのだけはうまく、いわゆる”定期テスト”は得意なタイプ、そこでそこそこの結果が出るとそこそこの評価がもらえるシンプルなシステムが好きで勉強も好きになり、ある程度評価もしてもらえ、それゆえ先生との関係も悪くなく、最も大切な自分の虚栄心も満足させることができていたあの時代。
「いい評価」を求めてする勉強なんてまったく本質的なものではなく、そんな分かりやすい形で「評価」してもらえなくなる世界に飛び込んでからが大変なんですけどね。
閑話休題。
それゆえ、私を「学校って窮屈」と思わせていたのは「先生」や「勉強」ではなかった。
では何が「窮屈」と思わせていたのか。
それは、「学校」という狭い枠組みの中に閉じ込められた時の同級生との関係、パワーバランスでした。
今思えば思い込みもあったなと思うのですが、バスケ部やサッカー部という花形運動部(と私が思っていた)に所属している運動が得意な男子、華やかで可愛らしくギャルっぽい(死語?)女子がクラスの中心となる世界。
そこに属さない人たちもそれぞれ「グループ」に属し、それがなんとなく序列化され、他グループとの交流はあまり存在しない世界。
いわゆる「スクールカースト」というやつでしょうか。
その中で別に華やかでも可愛らしくもギャルっぽくもなかった私は、己の自尊心を守るために、「勉強ができる」ことで一目置かれる独自のポジションを確立しようと図りました。
「学校」という枠組みに狭さを感じているにもかかわらず、同じその枠組みの中で自分の価値を認知させたいと思ってしまうんですね。
先ほど言ったように、通っていた学校は進学校ではなく”定期テスト”的勉強が嫌いなわけでもなかったので、わりとスムーズに「勉強ができる」ポジションを構築。
己のポジション確立に役立ってくれるので、定期テストのたびに高得点獲得者ベスト3を公表する英語の授業が大好きだったという嫌な生徒でした。
(「大学受験」という壁にぶちあたり、「勉強ができる私」なんてのも井の中の蛙であったと高校3年生の時に気がつくのですが)
自分自身が窮屈だと思う枠組みの中で自分自身の価値を認識されたがったこと、そして虚栄心の強さ(こやつにはいまだ悩まされています)がさらに窮屈さを生んでいたなと今になって思うのですが、当時はそこが主な生活の場だったのだから仕方ないか、とも。
もちろん学校内にも気の合う友達はいて(いわゆる「同じグループの子たち」ですね)、その友人たちと話をしている時はポジション云々関係なくバカな話をしたり笑い合ったり、楽しい時間を過ごしてはいました。
ですが思春期の女の子同士の関係性はとってもデリケートなので、ふとしたことがきっかけでちょっと気まずくなったり、カラッと元に戻ったり、またどんよりしたり…いろいろあったんですよね。
そんな時期、「学校」の窮屈さに息が詰まりきってしまわずに済んだのは、
学校外での人間関係の存在でした。
母が友達と遊ぶ時についていって、母の友達と話したり、その友達の子どもと遊んだり。母の職場についてって、ちょこちょこっと手伝いをしたり、そこで遊んでもらったり。
私が所属する「学校」という枠の中にいない人たち、特にその枠からとうの昔に出ている「大人」と関わり、「学校」以外の世界とつながる経験が、「学校」だけがこの世界のすべてではない、ここじゃない場所がこの世界にはたくさんあると、感覚として体に染み込ませてくれていたような気がします。
こんなふうに高校まで過ごしてきた私ですが、大学に入り、その「窮屈」から解放され、「学校」ってこんな自由なんやー!心から楽しいー!と思えるようになりました。
そこまで書ききって、学びの森での自分の考え方への影響を考えようと思っていたのですが…!
長くなってしまったのでまた後日にしたいと思います。
〈 つづく 〉