「あたりまえ」がないなら
学びの森にやってくる生徒たちには「あたりまえ」がありません。
それは既存の価値観に縛られないなどといった意味ではなく、現実として「あたりまえ」がないんです。
例えば、身体を動かすこと。
学校に通っていれば体育の時間にサッカーをしたり、野球をしたり、ハンドボールをしたり、バスケをしたり、器械体操をしたり…。
気持ちの良い晴れた日に運動場で思い切り身体を動かすことや、少し特殊な道具を使ったスポーツをすることが「あたりまえ」のようにできます。
でも、その環境が学びの森にはありません。
あるいは、本に触れること。
図書館のようにいろんな種類の本がたくさん置いてあるところがあれば、自分が気になったことをすぐに調べることができます。
自分の探究心を、インターネットのような雑多な情報ではなく、本という質の高い情報で満たすことが「あたりまえ」のようにできます。
でも、その環境が学びの森にはありません。
こうした状況をふまえて、月に二度の「外遊び」の機会や、たくさんの本が並ぶ本棚を用意はしています。
でも、生徒たちの声を聴いていると、それが十分ではないこともわかります。
この前生徒たちと話していると、こんな言葉が出てきました。
─なぁ先生、俺バスケしたいねんけど、どっかでできひんの?
─図書館行くにしても、昼間に行くのはなぁ…。人の目もあるし…。
─そういうの実現するためには、やっぱ足(車)もいるよなぁ。
普段は楽しそうに学びの森に通っている生徒たちにも、「あたりまえ」がないことに対する不満はあります。
そして、そういう「あたりまえ」がない環境でしか学ぶことができないという諦めのようなものも。
こうした声をきいていると、この現状を社会の側が保障することが必要だと思います。
でも、本当にそれだけでいいんかな?と僕は思いました。
確かに、いろんな子どもたちの学ぶ権利を社会が保障することは大事だと思います。
しかし、それを子どもたち自身が発信していく、あるいは実現していく努力もしなければならないと思います。
だからこんな提案をしてみました。
─んじゃあ一緒にお金取ってこようぜ。
バイトをする、働くという形でお金を得る方法はみんな知っています。
でもそれ以外の方法、助成金やクラウドファンディングなど、は私も含め知らないことが多いと思います。
そういった方法を身につけておくことは、今後のキャリアを創るうえで役に立つのではないでしょうか。
「あたりまえ」がないなら、創ればいい。
「あたりまえ」がないからこそ、できることがある。
「あたりまえ」がないからこそ、やるべきことがある。
そんなこんなで、僕は助成金の勉強を生徒と一緒に始めようと思います。
これでお金を取ってこれたら、また新しい学びが生まれるんじゃないでしょうか。
おもしろくなってまいりましたー!!